トップ

文字サイズ設定

本文文字サイズを大きくする 本文文字サイズを小さくする

白助物語イラスト 白助が代官となって寺を建てて九年が過ぎたある日のこと、白助が造った本尊の左手が突然なくなってしまいました。その時、空はにわかに曇り、山は怪しい気配に包まれ、白助の屋敷はすっかり雲に覆われてしまったのです。夜になって妻がこう言いました。『私は実は奈良の長谷寺の土地の神である瀧蔵権現である。大聖観世音の使いとしてここにやってきていたのである。先に本尊の左手を消したのも私が示したことであった。お前の願いはもはや叶っている。私は大和の長谷山に帰ってからも、常に此方の山にも守護の光を向けるだろう。これまではこちらの伽藍を守ろうとお前と夫婦の姿を取ってきたのである。このことは決して人に語ってはならない。ただし、私の形見として、また後の世の人々のために、私の手を留め残していく』。そう言い残し、妻であった瀧蔵権現は天に上り霞に消えてしまわれたのです。そしていつも供にいた少年も『私も大和長谷山の山口の神である。これまではお前に仕えて参った。このことは決して人に語ってはならない』と言って天に上っていってしまいました。

 その夜になって、天に去った妻が常日頃大切にしていた手箱からこの世ならぬ芳しい香が漂って白助のいた部屋を満たしました。白助は不思議に思い蓋を開けて中を見てみると、そこには妻の左の腕が残されていたのです。それから七日後、箱の中の腕は肌の色が変わって金色に輝きだしました。そこで白助がその腕を本尊の失われた左手の部分につなぐとピッタリと合いました。今日もなおこの観世音の御手は温かであります。これらはみな奈良初瀬山の観世音の御恵みであり、初瀬山の神々の御働きによって信濃の長谷寺を建立したのも人々を救おうというためなのでしょう。この信濃の長谷寺は今日も霊験新たにして、人々の信仰を集めています。

 翁には五人の子供がありましたが、翁は亡くなるにあたって、それぞれに一万石を与えました。それ以来人々はみな白助を五万長者と呼んだということです。これらはみな、大和の国の長谷観音の本願であり、善光寺如来のお告げによって、(大和長谷寺の本尊が顕れた)寳の石も未だ顕れる遥か昔に、長谷山の恵みを受けた話でありました。