長谷寺開基のシラスケの大いなる物語の遥か彼方には、さらに雄大な物語が広がっています。シラスケの旅は観世音菩薩への憧れから出発していますが、観世音菩薩とは、実は今から2500年前、インドに実在した一人の偉大な魂の美しき化身なのです。その偉大な魂を私たちはお釈迦さまと呼んで慕い、この画には、そのお釈迦さまの最期の場面が描かれているのです。
私たちの想像力を時間と空間の束縛から解放してみましょう。私たちがこの涅槃図の前に立ち尽くすということは、遅れ馳せながらこの偉大な人物の最期の時に駆け付けているのです。そのように観、そのように絵の世界に参入していくとき、宗教絵画は私たちの心や魂に深い意味を持って語りかけてきます。あの足をさすっている老婆のように間近までは寄れませんが、私たちも時を越えてその場に駆け付けているのです。
最期の床の周囲にはたくさんの弟子たちや菩薩たち、そして神々や動物たちもいます。さらに東西南北の十方から陸続と無数の弟子たちや信徒たちが駆け付けているのです。描ききれていませんが、インド人はもちろん、チベット人もスリランカ人も東南アジアの人々も中国の人も朝鮮の人も日本人も、近ごろでは欧米の人たちもいます。よく心を凝らして観れば、聖徳太子さんも最澄さんも空海さんも道元さんも法然さんも親鸞さん日蓮さんも一遍さんもみんな駆け付けているではありませんか。いや、よく見ると歴史上の有名人ばかりか死んだ親たちや我が家のご先祖さんたちも、愛した人も憎んだ人もみんないます。動物たちに交じって懐かしい愛犬たちも忘れていたカブト虫たちもみんないます。みんな、みんないます。
ずっと前の方にシラスケさんもいます。5人の子供たちと一緒に駆け付けています。私たちはいちばん最後に駆け付けているのかと思って振り返れば、まだここには無限にスペースが残されています。わが子も、わが孫も、知らないみんなもここに駆け付けてこれるようにちゃんと場所が用意されているのです。シラスケの物語も、私たちの物語も、ここから始まって、そしてここで邂逅します。お釈迦さまは最後にこうおっしゃいました。
もろもろの事象は移りゆく。怠ることなく励みなさい。
私たちはこの場に駆け付けましたが、またそれぞれの人生の旅を歩みだしてゆかねばなりません。その道は孤独ですが、つらく淋しい時は祈りを懲らしてここに駆けつけましょう。この大いなる涅槃の場に駆けつけたということが、私たちの孤独な旅を勇気づけ、次なる第一歩をあゆみだす力を与えてくれます。疲れたら、心を静かに手を合わせ、ここにやってきましょう。そしてみんなに会いましょう。祈りの心は、私たちの魂は、いつでも、この画の世界に、この永遠なるものが顕れている場所に通じているのです。