11月に6才になる娘が5月から寺の「写経の会」に参加している。
今日も参加した。
むろん、まともな字になるはずは無いのだが、それなりになる。
〈写経における「まともな字」とは何か、これも悩ましいところだ〉
息子は何度も参加しているが、相変わらずミミズの這ったような気味の悪い字のままだが、娘の方が何となく字に見える。
最初は、筆ペンでやってみたが、筆圧の調整がないから、インクがどんどん出てしまって丸い黒団子の列になってしまった。
そこで、前回からはサインペンにしてみた。これはいける。
もっとも、般若心経を最後まで書きつくすのはまだ難しくて、三分の一位になると投げ出してどこかへ脱走してしまう。
しかし、最初に本堂で「智山勤行式」を皆で唱える時には一緒にいるので、見よう見まねでお経を読んだりお焼香をしたりして、参加者の皆さんを和ませて、喜ばせている。
が、ひとつ問題がある。
それは、その後で、私が「ひと口法話」と云う事で、写経に先立って仏さまのお話をするのだが、その時には娘の忍耐力は尽きていて、参加者のイスとイスの間(長谷寺の本堂はイス式)を〝ホフク前進〟したりして私を悩ませ参加者を笑わせたりしている。厳粛かつ神妙な顔でありがたい仏さまの話をしようとしている私の足元には、ニコニコ顔の尺取虫のような娘がホフク前進をしているのだ。
それでも、いざ写経が始まると、子どもらしい集中に入って一生懸命やっている。
塗り絵が大好きだから、ノリとしては「写す」というより「塗る」という感じなのだろう。
書き順など当前お構いなしだから、みていると文字通り自由自在融通無碍である。
そんなふうに書いてみたい。
「娘」というのは、「息子」と比べたら家の〈うちの場合は寺の〉ことを手伝ったり参加したりするのが好きなのかもしれない。
一概には言えないかもしれないが、何となくそんな気がする。
最後に、願い事を書いていた。
為 メルのおねえさん
大切にしている人形のメルちゃんに「お姉さん」がくるように、ということらしい。
娘さんすごいです!
ほふく前進はお父さまの法話の緊張を和らげようとしているのでしょう。やさしい心の娘さんです!そして写経の時の集中はまさにお父さまを超えた?(スイマセン)仏の世界への心の集中なんでしょうね。
いかがでしょうか?