観音さまの歌
観音さまほど古来から私たちの国で親しまれてきた仏さまはいらっしゃいません。
その救いの心は、長い年月の間に日本人の文化の基層や私たちの心の深いところにまで染み渡り、根づいています。
それだけにお寺ばかりでなく、実に様々な場所にまつられたり描かれたりします。
なかでも、今様といわれる昔の流行歌や和歌、漢詩や俳句などに数多く歌われてまいりました。
そうした中からいくつかご紹介したいと思います。
古来の人が観音さまに寄せた想いや、今の私たちの心にも通じるものをお感じいただけるかもしれません。
じっくりと声に出して読み味わってみてください。
●今様(中世の流行歌)
観音深く頼むべし
弘誓の海に船うかべ
沈める衆生引き乗せて
菩提の岸まで漕ぎ渡る
■大意 観音さまこそ深く頼りにすべきものですよ。苦しみに満ちたこの世という海に、すべての悩める人々を救いたいという誓いの船を浮かべて、暗い海に沈んでしまいそうな私たちをひき乗せてくださり、安らかな悟りの世界まで渡して下さるのですから。
観音さまを始め、仏さまは修行の『誓い』を堅く持っています。それは自他の分け隔てなく苦しんでいる者を救うというものです。ですから、この世は観音さまにとっては「誓いの海」です。その教えは苦海を渡る船なのですね。しかも定員なしなのです。
●和歌
ながらへてひとりなりけるつひの道
かなしき我をいだきたまわな
■大意 右の歌は斉藤茂吉のもので、「上宮王院救世観世音菩薩」と詞書(歌のテーマ)があり、法隆寺の夢殿にまつられている国宝の救世観音さまを拝して歌われたものです。晩年を迎え、ふと気がついてみると人生の終末の道を私はたった一人ぼっちで歩いている。観音菩薩よ、こんなかなしい私をどうか抱きとめ給え。
観音さまは「大悲観世音」と呼ばれるように、私たち人間の「悲しみ」と深く通じています。悲しみこそ、観音さまと出会う心です。悲しみという人間性を大切にしたいものですね。
●俳句
永き日のわれらが為の観世音
■大意 こちらは高浜虚子の句です。ある夫妻が娘の供養を願って建立した観音像を前に歌ったものだそうです。
永き日とは、どんな日でしょうか。「長」ではなく「永」をあえて用いているのですから、これは永遠、永劫ということでしょう。すると、「永き日」とは、限り有るいのちの世界から、限りなき永遠の世界への旅立ちの日のことではないでしょうか。しかし、それが死別した愛娘の為に建立されたという観音像に捧げられた歌であることに思いをいたせば、死別によって離れ離れであった親子(われら)にとっては、死の彼方で再会させてくれる導き手こそ観音さまなのかもしれません。遺されて生きた日こそ、永いのです。
>観音さまは「大悲観世音」と呼ばれるように、
>私たち人間の「悲しみ」と深く通じています。
>悲しみこそ、観音さまと出会う心です。悲しみ
>という人間性を大切にしたいものですね。
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三十三観音巡礼をしていて気がつくのですが、
観音堂の額に「大悲閣」と記されているものが
結構ありますね。
わずか二百数十文字の般若心経は、もっとも
ポピュラーな経典であるが、その内容は哲学的で、
また短いがゆえに極めて難しい。
これに対して、観音経は比較的わかりやすい。
但し、偈文であってもある程度の分量があるので、
般若心経ほどにはメジャーにならないのだろう。
もう少しコンパクトだったら、多くの人に唱え
られ、観音さまへの帰依(慈悲の重視)ももっと
広がるであろうに、と思ったりする。
雨ニモマケズ様
「大悲」のカルナーという宗教性は、大乗仏教が重んじ称揚してきた精神としては最高のものではないかと思います。
今後も、この共感共苦の観音性が、私たち人間を支え、癒し、導いていくと思います。
信の門、知の門、行の門と仏道への門は色々ありますが、確かに般若心経は知的な門としてくぐろうとすると重い扉ですね。
でもきっと、信や行の門としてくぐろうとする人にとっては、手頃で入りやすいもんであると思います。
観音経は、アジアで最も読まれて経典のひとつですね。日本人だけではなく、チベットや中国や朝鮮半島のアジア人のやさしさや思いやりの心の基層には、観世音菩薩が息づいていると思います。
確かに現代人にはやや長いのですが、偈文だけでも改めて親しまれるといいと思いますね。