夫は五つの方法で妻に奉仕しなければならない。
一、尊敬する
二、軽蔑しない
三、道から外れたことをしない
四、権威を与える
五、装飾品を与える
『長部経典』–シンガーラへの教え–
お釈迦さまの肉声を多く伝えるとされる原始仏典の中には、難しい言葉は見られません。
分かりやすく、相手の人格や能力や環境に応じて具体的な生き方を説き、今日にも見事に当てはまる内容のものがたくさんあります。
↑の教えは、、、
人間関係についての、ある商人の問いかけに対し、お釈迦さまが答えたものです。
親子、師弟、友人などの具体的な人間関係とともに、「夫婦関係」についても五つのポイントに絞って説いています。
お釈迦さまも一国の王子として生を受け、若くして妻をめとり一子を儲けました。
29歳の頃に出家しているわけですから、それなりの結婚生活を経験しています。
その経験には、喜びもあれば悲しみもあり、愛と憎しみとをともどもに幾度となく感じては、人間の情愛の深さや力に感じ入ったでしょうし、若い頃から宗教的な瞑想をしていた人らしく、煩悩というものの力にも驚いたことでしょう。
男女の関係からは、むさぼり、怒り、おろかさという三毒煩悩の働きを最も感じることがあるものです。
また、一を見て百も千も万も知る慧眼の持ち主であったお釈迦さまは、自分の結婚生活、夫婦関係から、一般論としての夫婦のあり方、結婚の道、あるいはまた男女の機微まで深く洞察していたに違いありません。
「女性とは、なんと素晴らしいものか」
と深い感動を味わった翌日には、
「女の人は、不可解なり」
と途方に暮れたことも少なからずあったと思われます。
妻となったヤショーダラー妃は、容姿端麗というだけではなく、王子の妻に相応しい知性や精神性も備えていたのでしょう。
でも、突如として妻子も身分も捨てて亭主が出家してしまったのを知った時は、地団駄を踏んで悔しがったとか。
「いったい何が不足なの!」
もっとも、亭主不在の間も息子を立派に育て、後にはご自身も息子も、それぞれにお釈迦さまの弟子となっていくわけです。
それにしても、どんなご夫婦だったのでしょうね。
もしかしたら、お釈迦さまも、出家前の王子である当時は、妻に頭が上がらなかったのかもしれません。
あるいは、相思相愛、男と女、五分と五分というような関係だったかもしれません。なにしろ、カーストの厳しいインド世界において、身分を越えた生き方に基づく人生観を語った人物ですから、男女関係に関しても、現代人も及ばない平等観を持っていたかもしれません。
もっとも、その後の男性を中心とする厳格な教団組織の運営を考えますと、ジェンダーの観点から言えば、やはりお釈迦さまも当時の性差意識を普通に持っていたものでしょう。
そんなお釈迦さまが説いた「亭主への五つの提言」です。
いかがでしょうかね。
ご自身の経験に基づく言葉なのか、より一般的な認識によるのか、その辺は分かりませんが、唸らされます。
私もしばしば友人や知人の結婚披露宴に招かれますが、そんな時はこのお釈迦さまの言葉をはなむけの言葉としています。
ちなみに妻は次の通り。
①仕事を善く処理し
②親類縁者を良く待遇し
③道を踏みはずすことなく
④集めた財産を守り
⑤なすべきすべてのことがらについて巧妙にして且つ勤勉である。
さて、いかがですか。分かりやすいですが、簡単ではありませんね。
80歳を過ぎた祖母が今になって願うのは、たまに実家に帰ること。でした。
不思議なもので、帰りたくなるそうです。
その祖母が「義姉さんがいい人だから帰ることができる」といった言葉に、非常に深く考えさせられるものがありました。
わたし自身の義姉もやはり、とても優しく、私が実家に寄った時は歓迎してくれます。そのことがいかに幸せか改めて考えさせられました。
そして「長男の嫁」でもある私の道を、指し示してくれたように思います。
集めた財産を良く守り。ご先祖から残して頂いたものを守る感覚は、残念ながら私は未だつかめていません。
手帳にメモしました。
縁さま
私は、誰か知人や友人が結婚するときには、この言葉を贈っています。
それにしても、親類縁者を気持ちよく迎える、ということが妻にとって重要なことであるというお釈迦さまの指摘は傾聴に値しますね。「夫を立てよ」とは格別言わないところが憎いです。
消費社会に生きる我々は、知らぬ間に財を投資したり運用したりして、使う方向へと流されていますからね。でも、基本的には、どのご家庭でも奥様が財布の紐を〆ているのではないでしょうか。
それにしても、そんな「長男の嫁」である縁さんに嫁いでいただき、長男さんも皆さんもお幸せですね!