二十四節気では白露節、七十二候だと草露白になり、今朝は御堂の屋根にも朝露が乗っていた。
鐘つき堂から朝日を眺めていると、千曲市の森の辺りは朝靄がかかっている。
裸足の足が肌寒く感じ、ふと気がつくと息が白い。
「ああ、秋だなあ」と思わず呟いた。
いつものように、本堂裏山の倒木や枯れ枝の片付けに来てくれている小山さんが、上のほうから声をかけてきた。
「おはよぉ、さむいなぁ」
笑いながら、大きな篭を背負い降りてくる。背負い籠には枯れた枝や切った枝が一杯に入っている。
毎日のように、朝方こうして山に入り、小山さんは切り倒した木を運び降ろしてくれたり、枯れ枝を片付けてくれる。
ご自分の足腰の鍛錬のためとも、楽しみのためとも話してはくれるものの、そうやって毎日少しずつ片付けてくれる本堂の裏山は、次第にきれいになり、荒れ果てて薮だらけになっていたのに、だんだんと昔の里山のように整然としてきた。
山の斜面には、小山さんが歩くところに次第に「道」が出来る。
踏み固められた道は、次第に他の人まで歩くようになるから面白い。
それにしても大きな背負子だ。
この辺りの人たちは、寺の裏山のずっと奥にまで桑畑やリンゴ畑があったから、今のように車もなくガーデントラクターもなかった半世紀ほど前までは、みんな大きな籠を背負って何度も何度も登り降りして収穫物を運んだ。
そうするしかなかったからそうしたのだと、つい先日も檀家のおじいさんは昔のキツイ作業を振り返って話すが、それにしても、、、。
淡々と、その重いりんごの箱を背負って山を登ったり下ったりする。
その道は、今はもう誰も歩かなくなってしまった。
山奥まであった畑は荒れている。
鐘を撞き終えて、鐘楼門から山を見上げると、木々の間からパチンパチンと枝を折る音が聞こえる。
小山さんが籠に収まるように枝を折っている音だ。
日の出がだいぶ遅くなってきた朝日が、雲の間から山の斜面を照らしている。
今朝も、小山さんだけが、山の上で鐘の音を聞いている。
なんだか
とてもしみじみする
鋏の音を
聞かせて頂きました
幽黙さま
少しずつ少しずつものごとを進めることの大切さを教えてもらいます。
身の丈にあった、進み具合を、忘れてはいけませんね。