地元に一軒のお豆腐屋さんがある。
私が子どもの頃、そのオジサンが自転車だったか、カブだったかをノロノロと運転しながら、例のラッパを吹き吹きあちこち御用聞きをしていた。
寺の施餓鬼には欠かせない食材で、手作りの味わいがあり、素朴で、何と言うが「コシ」があった。
ある時、学校の帰りに豆腐屋のおじさんのラッパを聴きつけ、みんなでおじさんが商売をしているところには走っていった。
私の仲良しのいたずらっ子が、大きな声でおじさんに尋ねた。
「おっちゃんも、豆腐食うだ?」(「~だ」はこの地域の用法で疑問や独り言などに多用される。例:「どこ行くだ?」「さて、畑行くだ」)
ちょっと、悪ガキらしい意地悪な聞き方であった。
すると、豆腐屋のおじさんは、驚くような大きな声できっぱりと言った。
「食わない!」
かなり、インパクトがったあったのだろう。
実は、この時私はそこにいなかったのだが、友達が面白がってなのか驚いたからなのか、その様子を何度も何度も教室でリプレイしたものだから、いつしかその情景が心象に焼きついて、あたかも一緒に現場にいたかのような鮮烈な「記憶」となっている。
その豆腐屋のおじさんと、先日近所の高須医院であった。お互い、かかりつけだ。
だいぶ年を取ったなあ、と思った。
私がは気がついたが、向こうはワタシのことなど知らないだろうからと、軽く会釈をしてやり過ごしていたら、しばらくして「長谷寺のオッシャンや」と声をかけてきた。(「おっしゃん」は地域で坊さんや謡などの先生を指して言う用語。「ごっしゃん」ともいう。程ほどの尊敬と、親しみをこめた言葉だが、近年は「ご住職」と呼ぶ人が多い気がする。ちなみに私の父は「おおごっしゃん」と呼ばれている。)
「こんにちは」と、私は「食わない事件」を懐かしく思い出しながら、また挨拶をした。
「倅が、跡を継いで豆腐屋を始めたから、またひとつヨロシク」
「そりゃよかったですねぇ、うれいしねえ」
「ああ、まだまだ味はなあ、まだまだだけど」と嬉しそうに笑った。
その夕方、早速倅さんが御用聞きにやってきた。
倅さんは、自転車でもなく、カブでもなく、クマのプーさん(とよく似た絵)の書いてある配達用の軽自動車でやって来た。
例のラッパもなかった。
「親父から聞いて、早速来ましたよ、こんにちは」
女房が、玄関先で話し込んでいる。なんだか盛り上がってワイワイ話し帰って行った。
「これから週に1、2度来てくれるってさ。2丁買ったわ、おいしそうよ」
どれどれと見てみると、確かに美味そうだ。
何でも、豆腐屋さんの家の下からだけ、美味しいお水が湧いているそうだ。
すぐ両隣の家にも井戸があるけれど、不思議にもまったく味も温度も違うらしい。
先日、昼間にたまたま歩いて店の前を通ったら、大きな鍋のようなものを倅さんがごしごしと力を入れて洗っていた。
その後姿は、きっと親父さんとそっくりなのだろう。
地域に豆腐屋さんがあるというのは、嬉しいことに違いない。
豆腐屋さん
我が家の近所にはありませんわ
その昔琵琶湖の畔に住んでいたころ
趣味の釣りで
朝の三時頃に家を出るのですが
釣り場まで自転車で走る途中
豆腐屋さんの扉越しに
もうもうと湯気が沸き起こっていて
すっかり豆腐の仕込みの真っ最中
釣りの帰りに
豆腐を買って帰ったものです
ご近所に
あのラッパの音が聞こえてきたときは
ボールや鍋を持って走って行って
一丁!
とやっていましたね
懐かしいなぁ
幽黙さま
素敵な思いでですね。
琵琶湖を背景に釣竿を背負った少年が朝焼けにチャリンコをこぐ姿が目に浮かびます。
で、帰りには豆腐。
いいですね。
例えばヨーロッパなら、地域々々に必ずパン屋さんがあるそうですね。
そんな暮らしに必要な店が、
もっともっと日本の地域にも定着できたらいいですね。
最近は何でもかんでもスーパーですからね。
それにしても、あの豆腐のラッパは、どういう起源を持っているのでしょうね。
てすと