なんというか、画期的と自画自賛している大臣のいる「仕分け」であるが、ニュースなどでみているうちに、なんだか嫌な感じがしてきた。
確かに、膨大な税金の使途だから、好き勝手に誰かが儲かるような仕組みの中で決められるのは面白くない。
しかし、「仕分け人」という必殺仕事人みたいな名前の方々が、鋭く、鮮やかに、国民の知らないこれまでの国家の暗部に切り込んでいるような情景は、どういうわけか、中村モンドに共感したようにはとても共感できない。
どうも弱いものいじめに見える。
もっと、こんな見せしめや公開処罰みたいなやり方ではない方法はなかったのだろうか。
だいたい、こういう世間の耳目の集まりやすいイベントを国家が仕掛けている時は、その陰でおかしな法案が審議をすり抜けたりして可決するものだ。
あるいは、我が国(の与党や利権)にとって都合の悪い国際的な会議があったりすることもある。
その情報が、報道されなくなってしまうのだ、必殺仕事人のチャンバラ活劇の陰に隠れて。
そんなふうに感じていたところ、なんだか、総理大臣が、お母さんから、本人も知らないうちにたくさんのお小遣いをもらっていたという話が出て来て雲行きがおかしくなった。
とたんに、仕事人の活躍に偏っていたようなメディアは、ノーベル賞受賞者や世界的な学者たちの、仕分け作業に対する批判的なコメントを繰り返し報道し始めた。
むろん、それらを鵜呑みにすることは出来ないが、いじめられている側からの果敢な発言であり、国民の大多数が仕分けを支持しているという追い風を信じて大声を出している大敵に、ひとり立ち向かうようで思わず気分的に同調してしまいそうだ。
むろん、この仕分けには、私がこんなふうに感じるのだから、どうも国民だってたいして共感していないらしい。
その機をすかさず生かして、野党側からのムード作りとして、仕掛けられているようにも見えなくはない。
しかし、2人の学者さんたちの必死な発言は、テレビを通してだが胸を打つものがあった。
仕分け人には、それがない。我々の税金を守るために頑張っているはずなのにだ。
もっとも、こういうふうに、つい情緒的に、揺れてしまってもいけない。
確かに、この国には構造的に、大きなお金が一定の方向へ流れていく仕組みがあって、その流れの中には、山中教授さんたちが訴えるように、あらゆるジャンルの基礎研究にきちんと充てられているものもあるのだろうが、まったくそうではなくて、誰かが儲けるためだけの流れもある。
そういうものをあぶりだす必要もあり、仕分けも必要なのだ。
ただやはり、こんな見世物興行みたいな、一方に分があり、一方は最初から悪役みたいな構図でのやり方は、どうも好かん。こういうやり方を市民が支持するという発想が、与党にはあるのではないだろうか。
こういうち耳目を引くイベントがある時は、同時進行で何が進められているのかを、より注意深く眺めたいものだ。
どうせやるなら、政治家の政治資金についての仕分け大会を見せてほしいものだ。