あけましておめでとうございます。
南無大悲観世音菩薩
私たちのこの一年が、健やかで、安らぎに満ちたものでありますように。
年頭に、観音さまに、そうお祈りする。
年の初めにあらためて観音さまと縁を結んで、
一日一日を、大切に過ごしていこうと願う。
そうはいってもこの娑婆は、
健やかでもなく、安らぎを乱すことばかりだから、
ついつい頭に血が上ったり、
腹が立ったり、
悲しみに沈んだり、
さみしくて泣きたいことも少なくないから、
わたしらしさも、やさしさも思いやりも、見失いがちの365日だ。
むしろ、そういう一日一日だからこそ、
年頭に、今年もまた観音さまの大悲に祈る。
南無大悲観世音菩薩
大悲よ
私たちの、
怒りをしずめたまえ
悲しみや孤独を癒したまえ
見失いがちな自分らしさや思いやりを、
蘇らせたまえ。
私たちの大悲によって、
誰かの怒りをしずめたまえ、
誰かの悲しみや孤独を癒させたまえ。
そうやって、少しずつでいいから、
この娑婆に、
思いやりを蘇らせたまえ。
合掌
多数回の新年護摩祈祷、たいへんおつかれさまでした。私も元旦に初詣させていただき、「健やかで、安らぎに満ちた」一年をお祈りさせていただきました。
本当に、衆生の日常は、喜怒哀楽に振り回され続け、苦しみ悲しみに打ちひしがれることもしばしば。
お大師さまは、生きていながらにして仏に成れる、仏に成りきって生きよ、と唱えられるが、凡夫にはなかなかできません。
そんな現実とは別次元に絶対的な存在があり、それを心の拠り所として念じることができるならば、やはり大きな救いであります。
嗚呼、観音さま、どうか「この娑婆に、思いやりを蘇らせ」てください。
合掌
南無観世音大菩薩
年末年始から七草にかけて,とりあえずお疲れ様でした。
少し休んで・・・と言いたいところですが,そういうわけにもいかないようですね。
今年はご開帳の年でもあり,例年以上に忙しいとは思いますが,身体に気をつけて乗り切ってください。
雨ニモマケズ様
今年もどうぞよろしくお願いします。
お大師様にも「岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く」というお言葉がありますが、仏に成って生きるということの内実には、菩薩の苦悩するところを苦悩し、諸仏の厭うところを厭うということが、伴うと思います。
安らぎに満たされるほど、安らぎから追われている弱き存在への同悲の心が涌いて止まない。
欲望を満たそうとすると、弱き人の痛みに気がつかないのでしょうけれども、安らぎを満たそうとする祈りは、弱きもの同士の思いやりが働くに思います。
南無
鎌倉の住人様
有り難うございます!
ご開帳にも、ぜひお越しください。
封じられているお扉が開く、その時に、私たちの秘められている仏性が開く。秘仏のご開帳というのは、そんな自分との出会いの文化ではないかと思っています。
鎌倉の住人様も心願成就の良い年になりますように。
拝