今日は、チベットの人たちにとっては、とても大切な日です。
半世紀くらい前に、突然、「チベットはもともと中国の領土である」として、中国政府の軍隊が押し寄せてきて、不平等な条約や「人民の解放」を掲げて、それまで長い間守られてきたチベット人の暮らしを力で変えてしまいました。
世界の潮流は民主化であり、実は、「前近代的な制度」を維持していたチベットの人たちも、欧米人や日本人を招いて少しずつ国の制度改革を進めていましたので、共産主義に基づく社会改革に対しても、当初は辛抱強く従っていました。
ダライラマ法王御自身、「共産主義」には耳を傾けるべきものがある、と進んで学んでいたと述懐しています。
でも、自分たちの祖先が大切にしてきた信仰や、暮らし方を否定され、そのシンボルであるダライラマ法王の存在まで軽視された挙句に、その命まで危険になってきた時、人々は、「もう我慢できない」と、自分たちの伝統や精神文化の誇りをかけて、蜂起したのです。
それが、1959年の、3月10日、今日でした。
首都のラサで、人々は、ダライラマ法王を守れ、という言葉とともに、自分たちの魂を守るべく立ち上がったのですね。
いまでも、それは続いています。
結局、蜂起は、圧倒的な軍事力の前で鎮圧されてしまい、ダライラマ法王はインドへ亡命することになりました。
素朴なことが、分かりませんね。
どうして、先祖が大切にしてきたとおりに信仰することが、いけないのか。
どうして、それを認めてほしいというだけで、分裂主義者として、逮捕されてしまったりするのか。
今日は、チベットの人たちにとって、大切な日です。
亡命している人たちが、ダライラマ法王をはじめとして、みんなが笑って帰れるように。
その悲願のために命を失った人たちが、報われますように。
何が、彼らの願いの成就の障り・妨げになっているのか。
祖先が信仰してきたとおりに信仰したい、
祖国に帰りたい、
ダライラマを好き、と言いたい、
それらの願いを、叶えさせない働きはなんだろうか。
チベット人と、中国政府が、この問題を解決することは、すごく大切な意味があると思う。
チベット民族平和蜂起51周年記念日におけるダライ・ラマ法王の声明