おすすめの本です。
『現代霊性論』
◆著者:内田樹&釈徹宗
◆講談社
◆価格:1500円(税別)
霊って何だろう、?名前は呪い?スピリチュアルブームの正体・・・。
というのは、いくつかの『章』のタイトル。
このお二人、いまよく読まれていますから、ご存知の人も多いと思います。
そのお二人が神戸女学院で半年にわたって行った対談形式による連続講義ですが、面白いなあ。
私は、「職業柄」、宗教的なことをどうしても考えます。
四六時中宗教のことだけを考えているわけではありませんが、なんとなくものごとについて見たり考えたりする時には、宗教的なあるいは仏教的に考えるとどうなるんだろう、というふうに考えていることが多いです。
そういう私にとって本書はとっても面白い。
例えば、釈先生の言葉(の抜粋)。
現代社会では、もはや日本的宗教観も崩れつつあります。宗教的な行動様式の基盤が崩れたことで、霊性にかかわる問題にかえって縛られるという側面が出てきている。たとえば、都市生活には土俗の宗教性がありません。でも、人間は何らかの意味の「縛り」がなくては生活できません。そこで「占い」や「スピリチュアル」がブームとなる。「占い」が都市ほど盛んなのは、都市生活者が何らかの縛りを求めていることの表れの一つなんじゃないでしょうか。
例えば、内田さんの言葉(の抜粋)。
(「現代に宗教は必要だと思いますか、という質問に対して」)
宗教というのは、愛とか労働とか言語と同じレベルのものです。「言語って必要ですか」「愛って必要ですか」「労働って必要ですか」「共同体って必要ですか」「空気って必要ですか」という質問と同じことですよね。それらがあるからこそ、僕たちは現にここにいるわけであって、必要か必要じゃないかなんていう議論が出来る論件ではないんです。人間が必要だと思ったから宗教をつくり出したわけではなくて、宗教があったから人間ができた。宗教は人間と同じだけ古いんです。
なんて、ウウムなるほど。
最近、葬儀のあり方について考えているので、伝統的な葬儀のあり方に批判や疑問が呈されるということの意味を考えていく場合、この本の各所の発言や問題提起はとても私の皺の少ない脳みそを助けてくれる。
都市型生活者の意識は、いわゆる従来の(前近代的な?)土俗の血縁・地縁の帰属意識から「自由」になった意識だ。
そういう意識にとって、伝統的な血縁・地縁の帰属意識に基づく儀礼、とりわけその帰属意識を強化し更新しようとする葬儀は、うざい、以外のなにものでもない。
葬儀に限ったことではなく、伝統的な祈りの儀式や形式に、意識が沿えなくなっている現代人について、(むろん、自分も含めて)少しでも理解しようと試みるなら、本書は、さまざまな思考のと手助けをしてくれる。
また、伝統的な宗教文化の意味を見つめなおすうえでも、両者の姿勢・観点はとても参考になります。
釈先生は、とある場でお話をしてことがありますが、とっても気さくで、関西弁が素敵で、浄土真宗のお坊さんですが比較宗教学でいろんな宗教を深く学んでいて超博学、落語に造詣が深く、離しているとオモロイネタや落ちが・・・。
ひろくお薦めしたい一冊です。
釈徹宗師の本では、『ゼロからの宗教の授業』(東京書籍)と『とらわれない』(PHP)を読みました。
特に後者は、維摩経をとりあげたもので、維摩居士と文殊菩薩とで繰り広げられる対話が易しく訳されています。
「二項対立構造を点検し、これを解体-再構築する「空」の実践などを説いた」り、「不二の法門」に対する「維摩の一黙、雷の如し」など、在家の仏教者としてどうあるべきか、とても興味深いです。
雨ニモマケズさま
あ、私も「維摩経」の本は読みました!
聖徳太子もこの経典には深く傾倒したと伝えられていますから、日本の国の曙の時代に、この国のグランドデザインの理念の中に、在家仏教の心が据えられているのだと思います。
また、この釈先生の脱力した文体がまた良いですね。
漢字の有するある種の威力によって「仏教って堅苦しいもの」「難しいもの」という先入観に縛られている私たちには、本質を見失わずに意訳(超訳)していく釈先生の表現、方法論は見事です。
もっともっと多くの人に読んで欲しいものですね。
拝
雨ニモマケズさま
追伸
そうそう、「いきなりはじめるダンマパダ」も推薦です。
こういう書物をテキストにして仏教の勉強会を開きたいですね。