弘法大師空海が、若き日を振り返ってつぶやいた言葉。
進むべき道が分からなくて、人生の、学びの、修行の岐路に立ち尽くして何度も泣いた。
弘法大師の数ある「名言」の中でも、僕の好きな言葉だ。
超人的なイメージの先行する「お大師さま」。
ご自身もまた、3代の帝に、当時の唐の都から持ち帰った最新の思想を教授する「国師」として、それに相応しいパフォーマンスを意識して振る舞っていたと思われる。
が、おもわず「こんなおれでもあの頃は分かんないことが多くてなぁ」と、弟子の誰かに思わずもらしてしまったような響きがある。そのへんが、好きな言葉だ。
でも、この言葉は、最近は人生の言葉としてばかりではなく、政治の状況から見られる私たちの国の行方とを考える時もしきりに思われる。
鳩山首相が辞任した。
どうしてこんなに首相が変わるのだろうか。
政権が変われば、そういうことはないのではないか、と思いもしたが、まことにあっけない。
しかし、平成に入ってからの首相交代の目まぐるしいほどの繰り返しは、私たちの国全体が、今までとは違う方向に進みたいと思いながらも、なかなかそちらに踏み出せないことを現しているのではないかと思う。
そちらに踏み出そうとすると、壁があり、倒れる。
倒れるのが分かっているから、まあ今まで通りでいようかな、という構えでいても、社会全体、国民全体が、新しい方向へと踏み出したいから、それはそれで支持が続かず倒れてしまう。
新しい方向へ行こうにも倒れ、今まで通りでいようにも倒れる。
この進むにならず、留まるにならず、退くにもならない、閉塞感。
岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く、である。
岐路に挑んで倒れて泣いているのは首相だけじゃなく、いま、日本中のみんなが泣いているような感じがする。
こういう、やるせないムードの蔓延は、不穏だ。
“戦後政治の総決算”などと言われて久しいですが、今は本当に“時代の曲がり角”に来ているのかもしれません。
普天間問題などはそれを象徴しています。国際社会における日本のプレゼンスに対する価値観の転換期。それを十分に理解し、道を切り開いていけるリーダーは、きっと歴史に名を残す政治家となりましょう。
心を常にプラス指向にして明るく保てば、苦しみ悲しみを遠ざけることができる、とお大師さまも言っておられます。
「心暗きときは即ち遇ふ所悉く禍なり。眼明らかなれば即ち途に触れて皆宝なり」(性霊集)
雨ニモマケズさま
>心暗きときは即ち遇ふ所悉く禍なり。眼明らかなれば即ち途に触れて皆宝なり
↑これはまさに名言、至言ですね。
希望というのは、根拠がなくても、明るい気持ちでいることで沸いてきますね。
不思議ですが、人生って、そういうものなのかもしれません。
はたから見ていて、しんどい出来事が続いても、やたら元気でくよくよしない人は、やっぱり道を切り拓いていきますから。
現在の日本の国家的なジレンマを解きほぐし(普天間に象徴される諸々の問題を解決し)ていくには、世界的な非核ムーブメントや、軍縮の潮流、また少数民族生存の尊重、大国主義の退潮、グローバル経済から離脱する健全な交換の経済、世界的なシステムの人間的なシフトが不可欠ですね。
そのような方向に世界が進んでいかない限り、米軍は沖縄に居座り続けるでしょうし、抑止力はあっても、それだけ極東の緊張が解れることは期待できません。
チベット人が世界にチベット仏教やその文化を伝道してチベット支援者を広げているように。