住職日記

預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ

以前、イエス=キリストの言葉としてこれを読んだ時、ひどく印象に残った。

イエスが生まれ故郷に行った時、「大工の子」と言われて敬われなかったことが伝えられている。キリスト教徒にとっても、後世に伝える印象深いエピソードだったのだろう。

預言者というのは、唯一の神の言葉を受け取って人々に伝える人のことであるから、仏教を含めアジアの風土では余り馴染みはないけれども、ため息ともつぶやきともとれるこの言葉は、何となく頷ける。

 

何故なら、私は子供の時、よく迷子になった。

夕方遅くまで遊んでいて、日が暮れても遊んでいるうちに、親が心配し始める。

 

あの頃は、夕方になると、親たちが外に出てきて子供たちの名前を呼んでいた。

「タロウ~ゴハンダヨォォォォ」

「ハナコォォォォ、もう帰っておいでぇぇぇぇぇ」

ところが、その声の届かないところまでいって遊んでいる子も少なからずいて、私もそんな一人だったから、日が暮れても帰らないようなことがあれば、親も案じる。

母親が、仕方なく子供らが集まっているあたりまで呼びにくる。

ところが、近所の子の姿もなく、名前を呼んでも返事がない。

そのうちに、近所の人たちが母親の声を聞いて出てくる。

(むろん、そういう子は私だけではなく、毎日日替わりである、強調しておきたい)

そうして、夕食前のたそがれ時刻に、近所で私の名前が連呼されることになる。

この懐かしげな思い出とイエスさまのお話に何の共通点があるのかと言えば、あるのだ。

何しろ、住職として威厳を持っていどむ法事の席に、あのたそがれ時刻に私の名前を連呼した当時のお父さんやお母さんたちが居並ぶわけである。

それどころか、ご長命のお年寄りの中には、名前の連呼どころか、私のおむつ交換までしたことがある人物までいるのであるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。

寺は忙しい。親たちは赤ん坊の世話なんか出来ないときもある。

そんな時、近所の誰かが「息子の世話ぁ、見ておいてやるよ」と手を上げる。

私に正確な記憶がないのが残念であるが、あったらもっと残念だったかもしれない。

が、相手にはあるのである、その記憶が、ばっちりとぉぉぉぉぉ(涙)

なんということだ。

そういうオレキレキを相手にどの面下げて法話をするのか!

私が亡き人をしのび、尊いみほとけのお話を伝えているその時に、聞いている当人たちは、私のおむつ替えをしのんでいるのである。

そればかりではない。

わたしは、残念なことに、小学生時代無鉄砲ないたずらものだった。

例えばある時、広いりんご畑の一角にある小屋に宝物が隠されていると言ううわさが広がった(と記憶している)。

私は、さっそく友人たちと探検隊を結成してその謎の小屋に赴いた。

鍵がしてある。入れない。

どうする。。。。。

こわせぇぇぇぇぇぇ!

今の女房の前では常に静かな私からは想像することができない蛮行に及び、私たち探検隊はその小屋のガラスを何十枚も割って中に忍び込み、小屋中を散策した(荒らしまわった)挙句、勝手にその小屋を自分たちに秘密基地にして毎日探検していたのだ。

ああ楽しかった。

が、そのようなトム・ソーヤーのごとき王国時代は長くは続かないものである。

ある日、「今日も秘密基地で会おう!」と隊員たちと約束して急いで家に帰ると、玄関に父親(現・長老)が恐ろしい形相で仁王立ちをしていた。私は探検隊長として瞬時に悟るところがあった。

今こうして記憶をたどり思い出されるが、確かに私は親父に文字通り「首根っこを捕まれ」て、その秘密基地の本来の所有者である人物の家に連行されたのである。

私だけではなかった、確か隊員も一人いた気がする。

我々は小屋の所有者の家にしょっ引かれ、恐ろしい剣幕の父親のなすがままであった。

土下座してアヤマレェェェェェェェィ!

私は今も覚えている、その時の玄関先のセメントの冷たさと固さ、そして相手の言葉を。

「いやいや、子供はそのくらい腕白でなきゃ、わはははは」

土下座しピーピー泣きながらながら、「やったぁ」と思っている性根の曲がった自分がいた。

が、不動明王と化している父親はそんな私の「シメシメ」を見抜いたか「何度も謝らんかぁぁぁぃ」と相変わらずカンカンであった。

しかし問題は、そう、檀家さんの家の小屋だったのである。

もっと問題なのは、30年も時が経過しているというのに、現代の平成の世の法事の席で、そういう話を出す人があるのである。先日は、そのときの探検隊の一味とも再会した。

そういう出来事が、故郷にはある。

そういう故郷で私も育ったのである。

ふるさとは、そうやって人をはぐくむ。

そんな私が、オムツを替えてもらった人のお弔いをし、法事をし、その子や孫と一緒に面影をしのぶ。

時には、おむつ替えをしてもらった人の孫やひ孫が、法事の席でおむつ交換をされている姿がある。

感慨深し。

なんなら私が替えてやってやりたいくらいだ。

 

預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ

 

それは確かに一面の真理に違いない。

あんないたずらな探検隊の隊長が、何が法話だって笑われもしよう。

がしかし、そんなお互い様の懐かしい思い出をともにし合っている人同士が、オムツを替え、また看取り看取られ、またオムツを替えている。

 

そんな故郷には、故郷に相応しい祈りや宗教が静かにあるのではないか。

 

今日も法事の席で20年ぶりという懐かしい腕白探検隊時代の同級生に再会した。

そんな時は、住職として、僧侶として、同郷の人として、同級生として、幼馴染として、いろんな思いを抱きつつ、一緒に亡き人をしのぶ。

そんな友人がそこにいると思うと、さて、何を語りうるか、と恥じ入りながら、話をする。

そんな友人にとってかけがえのない人の遺影がそこにあるのであり、今日は、その人のために来ているのである。

ここで語られるべき言葉は、むろん預言ではないだろう。

菩提寺の住職とは、宗教者という括りに入るものではあるが、故郷と無縁の言葉を説くものではない。

むしろ、ここが私の故郷である、と集まった人たちの心が通いあう言葉を語るものではないだろうか。

布教とか、教化とか、宗派でもいろいろと言うが、どうもそこには故郷がない。

(教団内をある種の故郷にする宗教もあるが、それはあまりよい宗教だとは思えない)

亡き人をしのぶ場は、宗派の場ではなく、経典の場でもない。

私はここで生まれ、この人たちに育まれ、共に生き、この人たちに看取られ、やがてみんな「故郷」に共に帰っていくのだ、ということを、感じる場ではないか。

その「感じ」を、これからも大切にしていきたいし、法事や葬儀でも、その「感じ」を共感できるような場を、出来たらつくっていきたいと願っている。

もっとも、幼馴染や友人諸君にだけは、法事の席で私の過去の悪行や蛮行を酔っ払った勢いでぺらぺら話すのだけは控えてほしいが・・・・。

 

 

 

 

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