アメリカ・インディアンの教え
子どもは批判されて育つと、人を責めることを学ぶ。
子どもは憎しみのなかで育つと、人と争うことを学ぶ。
子どもは恐怖のなかで育つと、おどおどした小心者になる。
子どもは憐れみを受けて育つと、自分をかわいそうだとおもうようになる。
子どもはばかにされて育つと、自分を表現できなくなる。
子どもは嫉妬のなかで育つと、人をねたむようになる。
子どもはひけめを感じて育つと、罪悪感を持つようになる。
子どもは辛抱強さを見て育つと、耐えることを学ぶ。
子どもは正直さと公平さを見て育つと、真実と正義を学ぶ。
子どもは励まされて育つと、自信を持つようになる。
子どもはほめられて育つと、人に感謝するようになる。
子どもは存在を認められて育つと、自分が好きになる。
子どもは皆で分け合うのを見て育つと、人に分け与えるようになる。
子どもは努力を認められて育つと、目標を持つようになる。
子どもは静かな落ち着きのあるなかで育つと、平和な心をもつようになる。
子どもは安心感を与えられて育つと、自分や人を信じるようになる。
子どもは親しみに満ちた雰囲気の中で育つと、生きることは楽しいことだと知る。
子どもは周りから受け入れられて育つと、世界中に愛があふれていることを知る。
よく知られる、アメリカインディアンの教えといわれるものです。
べつにムツカシイ教育理論が示されているわけではありませんね。至って、シンプルなことが述べられているばかりです。
でも、「我が子を前にして、自分はどう接しているか」と、胸に手を当てて振り返れてみれば、このシンプルな指摘の一句一句が、ひとりの親である私たちをドキリとさせます。
また、自分自身の性格を自分なりに考えてみた場合も、ひとりの子であった自分と親との関係について、良くも悪くも思い当たる節があるのではないでしょうか。
世の中には流行り廃りがあって、私たちによい生き方を示してくれる「善き言葉」も、一時は人口に膾炙しても、しばらくすれば忘れられ、私たちは次なる「いい言葉」に飛びつきます。消費者意識がすっかり身のついてしまった私たちは、時には自分の人生を支える「指針」や「杖」になるであろう言葉と出会っても、その素晴らしさを深くかみ締める間もなく手放してしまう傾向にあります。
善き言葉と出会ったら、味わってすぐにポイと手放すのではなく、何度も何度も味わって、その語り継がれ、語り継がれる中で人々の検証に耐えて語り継ぐ価値ある言葉として磨かれてきた言葉を、自分もまた語り継ぐ人になっていきたいものです。
このアメリカインディアンの言葉も、そんな語り継ぎたい善き言葉のひとつですね。