住職日記

宗とする教え

 世の中を見回すと、原発問題、消費税問題、TPP問題、尖閣諸島問題、 EU問題、生活保護費問題、問題、もんだい、モンダイ、もー問題だらけです。

 自分をふりかえっても、お寺の裏山藪だらけ問題、天井のネズミ問題、運動不足問題、体重問題、息子のゲーム問題、と問題だらけです。

 私たちは問題に囲まれ、また自ら問題を生み続けているようなものです。むろし、問題のない社会や、問題のない自分を期待する方が間違っているのかもしれません。社会とはそれ自体が問題なのであり、自分もまた解決のない問題なのでしょう。

 じゃあ、もーやーめた!社会がどうなろうと、自分がどうなろうと知ったこっちゃない。原発なんか好き勝手に動いてろ、体重なんか増えるだけ増えろ、今夜も生ビールじゃ、と投げ出してしまいましょうか。それはかなり気楽で、清々するかもしれませんね。

 しかし、その気楽さやすがすがしさは、きっと長続きしません。じきに新たな問題が社会を動揺させ、新たな問題が私を悩ませるでしょう。こうしてみると、今の社会も政治も、また私たち一人ひとりも、前後左右問題だらけで、進むにならず退くにならずです。

 こんなふうに、岐路に立って自分の進むべき方向に迷う時、私たちは原点に返り、自分たちにとっての要は何なのか見つめ直すことが大切ですね。

 こうした判断のもととなるもの、原点のことを漢字で「宗」と書きます。宗(むね)とするもの、立ち返る場所、原点ですね。したがって、宗教というのは、宗とする教え、すなわち迷った時に「立ち返る場所」という意味を持ちます。

 私たちの国政をゆだね、託すに値する政治家にも、そのような宗をしっかり持っている人物を選びたいものです。むろん、その人の「宗」とするものが、特定の利益集団だったり、未来を勘定に入れない考え方では困ります。

 間もなく年末年始。まぐるしい変化と問題ばかりの世にあって、私たちが何を大切にすべきか、と言う原点を気付かせてくれる季節です。

 お正月は、古来お盆同様に祖先の御霊が帰ってくる季節であると言われています。祖先をはじめ、神仏に手をあわせて、家族や身のまわりのご縁ある人に、あらためて「ありがとう」の気持ちをもち、自分がどんな縁に織り成されているのか見つめ直し、初心に帰りましょう。

 社会にとっても、人間にとっても、いのちのあり方を大切にすることが、昔も今も宗とすべき教えなのではないでしょうか。          合掌

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