その中の一人
観音経には、こんな一節があります。
「人々が、金銀財宝を求めて大海に船出したところ、にわかに黒風が吹いて船が悪鬼羅刹の国に漂着してしまった」。
この短い一節は富を求める経済活動の危うさを語っていますが、まるで、私たち日本人の戦後の歩みをたとえているようです。
我が国は、戦後、希望を持って復興の大海に船出し、必死の努力をして荒波を越えて世界でも稀な豊かさ(金銀財宝)を手に入れました。
しかし、私たちの船は、いつの間にか「もっともっと」というむさぼりの黒い風に運ばれて、今や激しい競争と厳しい格差の社会(羅刹国)に漂着してしまいました。
観音経はこう続きます。
「その時、もしもその中の一人が、南無観世音と称えるならば、その人たちはみんな羅刹の難から逃れることができる」。
観音菩薩を呼ぶとは、その本願を活動させることです。
観音菩薩の本願とは、大悲心によって衆生を救うことであり、大悲とはマハー・カルナーすなわち大いなる同悲同苦の心です。
とすれば、羅刹世界に観音さまを呼ぶということは、奪い合いの世界に分かち合いの心、愛や思いやりを呼び覚ます、ということですね。
では同悲同苦を呼び覚ますとどうなるのかと言えば、観音経は「全員助かる」と断言しています。
つまり仏教は、観音の力つまり同悲同苦、愛には、奪い合いを直ちに停止させる力があると確信しているのです。
問題は、この羅刹国と化している我が国にあって、いったい誰が「その中の一人」となるのか、なのです。
政治家ですか?
立派な社会活動家ですか?
学校の先生ですか?
マスコミですか?
宗教家ですか?
いいえ、もちろん違いますね。
観音経は強く訴えているのです、あなたこそが「その中の一人」たれ、と。