泣き虫菩薩
チベットに伝わるお話です。
むかしむかし、泣き虫菩薩とよばれて、皆にばかにされている、ちいさな菩薩がいました。
弱虫で、何をみてもすぐ泣くのです。
踏みつぶされる毛虫をみては、ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼし、風に散っていく枯れ葉をみては、ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼし、弱くみじめな自分に、ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼすのでした。
そんな泣き虫菩薩を皆が笑いました。
笑われるともっと悲しくなって、私の悲しみはどこから来るのかと思うのでした。
どれだけ涙をこぼしたでしょう。
いつしか、泣き虫菩薩が流した涙で、小さな水たまりができました。
泣き虫菩薩は、涙の水たまりを見て、いったいどれだけ泣けば悲しみがなくなるのかと思いました。
何千も、何万も、星は巡り、月は満ちては欠け、日は登り、沈みました。
それでも、悲しみも涙もなくなることはありません。
やがて、涙の水たまりは涙の小さな池になりました。
泣き虫菩薩は涙の池に立って、泣きながら見わたしました。
泣きながら、毛虫をみて、小さないのちを思いました。
泣きながら、枯れ葉をみて、うつろう世界を思いました。
泣きながら、自分をみて、人間を思いました。
そして、悲しみが、世界に流れていることを、私たちに流れていることを知りました。
この時、泣き虫菩薩は、悲しみと永遠にともにあろうと願って、悲しみあるところにいっては一緒に泣き、苦しみあるところにいってはいっしょに震えました。
百千万億もの悲しみや苦しみによりそい尽くして、百千万億粒の涙をこぼして、泣き虫菩薩が流したはかり知れない涙によって、小さかった池は、とうとう大きな大きな涙の湖になりました。
そして、泣き虫菩薩は、大いなる悲しみの菩薩、大悲観世音菩薩になりました。
(撮影・飯島俊哲)
●
チベットには、今でも観音さまの涙によってできたという湖があるそうです。
私たちのために流して下さる涙で満たされる湖・・・。
遠く、思い浮かべるだけでもありがたい湖ですね。
(明日香村 岡本寺はがき説法寄稿)