戒と智~源信僧都
色と族とおよび多聞ありといえども、
もし戒と智なくば、禽獣のごとし。
源信(平安時代 942~1027)『往生要集 巻上』
意訳:姿かたちが美しく、家族も繁栄し、知識も豊富であったとしても、自分を戒めることと、智慧がなかったなら、鳥や獣と少しも変わらない。
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源信さんは日本の浄土信仰のもといを築いたお坊さまです。
比叡山にあって、お釈迦さまの教えが廃れる『末法』の世相に生きる人間を見つめ続けました。
恵心僧都源信像 聖衆来迎寺所蔵
当初は、源信自身も知らず知らずに世俗の世相に流され、栄達や名利を求める僧侶でしたが、ある時、比叡山の大法会で立派な役を果たしていただいた褒美を故郷の母親に贈ると、喜ぶかと思いきや、こんな歌ととともに送り返されてきました。
後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ
得意の絶頂だった源信でしたが、母からのこの歌によって、僧侶としての自分の生き方を深く見つめ直します。
そして名利栄達の道を捨て、比叡山の横川というところにお堂を建てて、念仏三昧、修行ひと筋の道に専心しました。
そんな源信さんでしたので、末法の世相の中で、人はいかに生きるべきか、何を大切にして生きるべきか問い続けたことでしょう。
そうした求法と問いの中から、源信僧都は、「厭離穢土、欣求浄土」の精神を深め、かの名高い「往生要集」を著します。
厭離穢土、欣求浄土という、この汚れた世をいとい、ひたすらに浄土を願うという源信の思想と著作、そして念仏三昧の求道生活は、人々の大きな影響を与えました。
あの藤原道長も帰依し、末法の世に生まれ落ちたことを嘆く多くの人々が源信の教えに共感しました。
後の、法然上人や親鸞聖人ら、浄土信仰を発展させる偉大な僧たちにも大きな影響を与えましたし、往生要集に描かれた地獄の様子はあまりに有名になり、平安時代の文化に多大のインパクトを与えました。さらにこの本は、中国の仏教聖地である天台山にも送られて、当時の中国のお坊さんたちからも讃嘆され、源信僧都は、中国の僧侶たちから「日本小釈迦源信如来」と尊崇されました。
末法の世、は今も続いてます。
こんな世の中で、どうやって生きていけばよいのでしょう。
そんな悩みを持ち、迷い、私たちと同じように苦しんだ源信僧都。
鳥や獣と一緒だと言えば、自然を破壊しない動物たちに申し訳ないほど、私たちの生きる現代の末法性は、源信さんの頃よりもはるかに深刻といえるでしょう。
源信さんが冒頭の言葉で申しれました『戒と智』、すなわちお釈迦さまの教えは、これからますます大切になっていくことでしょう。
(仏教名言辞典参照)