住職日記

常楽会にこめられた恋慕の情

常楽会にこめられた恋慕の情

 

私が修行したのは京都東山の智積院。

一般には知られていませんが、日本の仏教史の中では、学問の寺として天下に知られた名刹です。

その智積院の常楽会(涅槃会)に伝わる舎利講式は、鎌倉時代の明恵上人によるものです。

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「絹本著作明恵上人像」(高山寺蔵、国宝

舎利講式は上人のお釈迦さまへの深い愛情と追慕の念が余すところなく表現された日本仏教文学上の傑作といわれています。

明恵上人は宗派を起こしたような僧侶ではないので、今日では各宗派の宗祖のような知名度こそありませんが、日本の仏教史上極めて重要な存在であることは疑いありません。

さて、この講式全体に貫かれている主題は、お釈迦さまに対する「恋慕」の情です。

明恵上人は、講式において、お釈迦さまよりはるかに遅れて生まれてしまったこと、死に目に会えなかったこと、場所もインドから遠く離れて生まれてしまったことを嘆きます。

けれども、ひたすらに舎利(遺骨)に恋慕渇仰の想いを凝らせば、必ずやお釈迦さまと会える!

そのような切々たる恋慕の思いが全編を通じて謳われています。

お逮夜(常楽会前夜2月14日)に読む遺教経(お釈迦さまの最期の説法と伝えられるお経)を、初めて経蔵で手に取った明恵上人は、感動で打ち震え、こぼれる涙を抑えることも出来ずに声をあげて泣いたと伝えられます。

そのような上人のお釈迦さまへの情感あふれる舎利講式を唱える常楽会が、「智を積み上げること」を中心とする学問寺として名高い智積院において、古来もっとも重視された法要のひとつであったのは、とても意義深いことであると思います。

ここで謳われるのは、お釈迦さまへの愛、憧れ、追慕の情、すなわち「好き」という想い。

きっと、こうした仏祖への憧れなしに、仏教的な知識ばかりをどんなにたくさん積み上げても無意味であることを、学問の中心寺院として名高かった智積院の歴代の学僧たちは深く知った上で、自他に対する戒めとしてこの法会を営み、明恵上人の恋慕の思いを我が想いとして育んできたのではないでしょうか。

なぜなら、「仏教を知っている」ということと「仏教を生きる」ということはまったく別次元のことなのですから。

僧侶というものは仏教をただ知っている人を指すのではなく、仏教を生きている人を指すのですね。

かくいう私も、そう言いながら忸怩たる思いがありますから、少なくとも、それを生きようとする人、と申しましょう。

こんな時代の、こんな至らぬ僧であっても、それでもお釈迦さまへの追慕の心を持ち続けたい。

お釈迦さまへの愛、憧れ、恋慕の心が深まっていくものでありたい。

お釈迦さまへ、その教え(法=ダルマ)へ、また弘法大師(各宗派の祖師)へ、本尊へと、大きな憧れと恋慕の想いを持ち続けていくこと。

それは明恵上人がもっとも重視した心に通じ、お釈迦さまご自身もまた、悟りを開いてから後も生涯にわたって真理を愛する心、真理への憧れを瑞々しく保ち続けた人であったに違いありません。

お釈迦さまが好きという気持ち。

皆さんも、大切に、そして少しずつ、育んでみてはいかがでしょう。

平成26年 涅槃会

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