住職日記

当山開基のお話し「しらすけ物語」

舒明天皇の御代、信濃国更級郡姨捨山のほとりに、白助の翁といふひとあり。允恭天皇六代の孫なるが、祖父に朝家に不忠のことありて信濃国に流されてより土民となって貧しく暮らしていた。白助は。。。

 

鎌倉時代の初期に、奈良長谷観音の聖たちによって編纂されたという「長谷寺験記」。その下巻の第一話に収録される、このお話し。あの柳田国男も注目したお話です。

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当山開基伝説「白助物語」は、平安の都人の憧れの地であった「さらしな・おばすて」を舞台に、亡き親を思う孤児の悲しみと祈り、善光寺如来の登場、山と初瀬のお山への巡礼と観世音菩薩の降臨、そのお告げによる女性との出会い、信濃さらしなへ帰ってからの殿さまとの知恵比べ、そして妻の力を借りて富み栄え、報恩のために観世音菩薩をまつり寺を建てる白助、最後には、妻がその正体を明かして去っていくまでがストーリー性豊かに語られる物語です。

 

さらしな、という月の都は、悲しみと再生の地。

 

ハツセという地もまた、古来、黄泉への通路、果てる瀬、またはっする瀬として、再生と浄化をいのる地。

 

シラスケという名の「シラ」は、「生まれ清まり」をしめす、古くからの言葉。

 

こうして折り重なる悲しみと再生のイメージの中に、降り立つ観音菩薩。

 

ここには、日本人と仏教の出会いも静かに語られてあるように思えます。

 

とりわけ、最後に、観音の像に、日本の女神の腕を取り付けるという印象的な場面と、それによって温もりを失わない「人肌観音」になったというお話しには、神仏の出会いの秘密が描かれてあるように思います。

 

長谷寺という一つの寺の始まりを語るだけではなく、昔々の日本人のこと、また人間の心のドラマとして、深い味わいがあるがゆえに、長く語られてきたのでしょう。

 

長谷寺では、いま、この物語の絵解き用の絵を制作しています。完成を楽しみにお待ちください。

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