一本の手に
私たちは、寺社に詣でて、神仏に自分の願いを聞いていただこう、叶えていただこうと祈ります。しかし、ある師はおっしゃいました。
それは逆なのだ、と。
そうではなく、寺社に詣でたら、自分の願いを聞いてほしいと願う前に、耳を澄まして神仏の願いを聞くのだ、と。そして、その願いが叶うよう祈り、そのためにお手伝いさせてくださいと誓う。そういう人の願いが叶っていくそうです。
千手観世音菩薩は、ご存じのように手が千本ある観音さまです。あらゆる人々を、あらゆる苦難や悲しみに応じてすくい取ろうというお誓いによって、あの千の手を持っていらっしゃるのです。
しかし、初めから、千本あったわけではありません。そうではなく、二本の手で救いの修行をしていたのです。でも、救っても救っても次から次へと迷い苦しむ人があり、この菩薩は自分の救いの力の及ばぬことを嘆きます。「もっと、もっと救いの手があれば」と強く願ううちに、手が少しずつ増えていきました。しかしまだまだ及びません。それほど世界の悲しみは深いのです。どれほど永い年月が流れたでしょう。ある時、この菩薩は、どんなに世界に悲しみがあろうとも、決して救いをあきらめないという広大無辺の大誓願を持つに至り、とうとう千の手を持つ観音菩薩になったといわれます。
あの千の手には、救っても救っても救い切れないという深い悲しみと、でも決してあきらめない永遠の救いの誓いが表れているのですね。
間もなく年の瀬。この一年をふりかえる季節。千手観音さまに詣でて、その前に立ち、手を合わせて「観音さまの願いは何ですか」とお聞きになってみてください。私の願いを聞いてください、と願うのは後まわしにして、その千の手に表れる観音菩薩の願いに耳を澄ましてみましょう。私たち人間の悲しみに寄り添い、いつもでもその手を差し伸べ続けるという誓願に。そして、どうぞ私をその一本の手にしてください、と願いましょう。あなたの思いやりが、観音さまの誓いの手になっていくなんて、素敵だと思いませんか。
明日香 岡本寺 はがき法話 寄稿より