お釈迦さまの侍者阿難=アーナンダ。
お釈迦さまの年のはなれたいとこで、お釈迦さまの弟子となってから、お釈迦さまがご入滅になるまでの25年間、ずっとおそばに仕えました。
彼は、非常に美しい顔立ちでしたが、そのために迷うこと多くしてなかなか修行が進まなかったともいわれます。女性に大変慕われてしまったということなのですね。
異性ないしは愛する人を前にして揺れ動くのはなにも阿難だけではありません。みんな、そうですね。仏教では、愛情は、愛執という執着として、その対象を失ったり与える愛に比べて相手が応えないことで生ずる苦しみが大きいだけに、むしろ善き心、安らかな心を求めるならば、手放すべき感情とされます。
阿難は、多分に情愛に深い人であったのかもしれませんね。細やかな気配りの出来る人でしたから25年も付き人が務まったのです。でも、お釈迦さまの身の回りのことに心を配ることに全ての力を注いでいたために、誰よりもたくさんお釈迦さまの説法を聞く機会に恵まれて「多聞第一」と称えられながら、修行はなかなか進まず、心は折々に動揺し、お釈迦さまにも『何度も話してきたではないか阿難よ』という、「やれやれ」感が漂う言葉が見られます。
しかし、この情けの深さがあってこそ、入滅の日まで、お釈迦さまにお仕えし尽くすことができたのでしょう。この阿難のお釈迦さまへの憧れ、恋慕の思いなくして、その珠玉のような言葉はこれほどに今日に伝わったかどうかわかりません。
お釈迦さまの旅に、いつも影の如くにつき従う阿難。
とりわけ、最期の旅の物語は、どこか阿難の物語としてさえあるように感じられてまいります。人生の灯としてお慕いするお釈迦さまが、日に日にその命の灯の小さくしていく晩年。旅から旅、いたんだお体をおして歩き続ける師の姿。そばに寄り添い、水をくみ、床をしつらえ、説法の場を調え、集まってくる人々を制しながら、確実に迫り来る別れの日に怯える阿難。
とうとう迎える入滅の日。
沙羅の林に身を横たえたお釈迦さまが、苦しみをこらえながら弟子たちに法を説く。
国宝の高野山の涅槃図は、この時、多くの弟子たちが滅を唱えるお釈迦さまを見届けるのに、ただ一人、その様子を直視できずに突っ伏している阿難を、その『背中』だけ描くという構図によって、見事にあらわしています。
下図は、長谷寺所蔵の涅槃図の阿難。
お釈迦さまが最後の息をして涅槃に入るや悲しみのあまり気絶してしまったのです。世の多くの涅槃図が、このかなしみのあまり気を失う阿難を描きます。
頼りなく、何度言い聞かせても悟れないダメダメな弟子。
しかし、お釈迦さまはそんな阿難を25年間、その最期の最期まで、そばに置きました。そこには、お釈迦さまの弟子に対する温かいお心を感ぜずにはいられません。
偉大なるお釈迦さまのすぐそばに、一生懸命つきしたがう人、阿難。
はるか遠くを歩むその人影に、私たちは深く共感してしまいます。
ああ、おれだよ、この気絶している男は。。。。
おお、私だわ、この意志薄弱な弟子は…
世のダメダメ諸君、阿難に会いに来てください。
阿難とともに、お釈迦さまの旅につきしたがい、阿難のように、全身を耳にしてそのお言葉に耳を澄ましましょう。