老婆の悲しみ。
3/15は長谷寺でお釈迦様涅槃図のお絵解き。
画像はお釈迦様にお会いしたいと願いながら、貧しさのあまり説法を聴く機会がなかったヴァイシャーリーの老婆。
思い立って、お釈迦さまの後を追って旅に出ました。
追いかけてもなかなか追いつかず、追いついたと思えば「お釈迦さまならつい先ほど発たれたよ」と人に言われてしまいます。
そうやって、何年もの月日が流れてしまいました。
どうしてもお釈迦さまに追いつけない悲しみの中、何度も諦めそうになりましたが、老婆は気持ちを奮い立たせて、老いた体でお釈迦さまを追い続けました。
何年だった時のことでしょうか。ある日、老婆はとうとう、一行の姿を見つけました。それはクシナガラの沙羅の林でのことでした。
「やっと会えた!」と老婆の心は喜びでいっぱいです。
急いで説法の場にかけつけると、どうでしょう。
「残念だったね、お釈迦さまならたった今お亡くなりになりました」と告げられてしまいます。
なんということでしょう。
何年も何年もお釈迦さまを慕って追いかけてきた老婆。
やっと追いついたというのに…。
図は、かけつけた老婆が、やっと追いついたのに、僅かな擦れ違いで今生で会うことが叶わなかった悲しみから、おみ足に取りすがって泣いている様子です。
この時、老婆が流した涙が棺を濡らして火が点かず、そのお陰で遠くからかけつけてきた弟子たちがみなお別れできた申します。
老僧は泰道坊の頭を優しくなでながら、気の毒な老婆の姿を忘れてはならないと語りかけ、幸福なことに、お前はこれから毎日お釈迦さまの教えのお経を読み唱えることができるだよ、と言われ、師は幼いながらも、この老婆を気持ちを忘れずに難遭遇の教えを宝物に学んでいこうと決意したそうです。
出会いということ、その一期一会の尊さをかみしめる思いを養うのもお釈迦さまの教え。
皆さまのお参りをお待ちしております。