住職日記

長谷観音からの彼岸の日の出

お彼岸の時期になると、長谷寺の建つ地が、古来の聖地であったことに思いをはせます。

御本尊の十一面観世音菩薩がまつられる観音堂は、真東を向いて建てられていますが、その真正面を遠く望むと、菅平の山並みが見えます。

長野県と群馬県の境になだらかに、雄大に横たわる根子岳と四阿山の山嶺。

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長谷寺の山からは、その姿が、双子山のごとくに見えます。

そして、この山と山との間から、彼岸の季節の太陽が昇ってまいります。

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画像は、ここ数年のものですが、毎年のようにその日の出を拝むたびに遠い先人たちに思いをはせます。

今、自分が立っているのと同じ場所に立って、この春分の季節にこうして現れてくる太陽を拝んだ人々があったことを。

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世界各地で、紛争が起こって、その理由として宗教間の対立が指摘されています。

確かに、代表的な宗教を見ても、その世界観には違いがあります。

でも、どの宗教も、自然環境、地球、太陽系というものを離れて生まれてきたものではないのでありますから、そこには同じ自然を母とする兄弟姉妹としての共通するものが息づいていると思います。

長谷寺は、寺であるからには、仏教の寺院ですが、それがこのようにして太陽を春分・秋分に当たって拝む場所に建てられていることの意味を、今あらためて、しっかりと見直したいと思います。

太陽なくして生きていけない私たちが、その太陽の運行や働きを知り、その有り難さを再確認し続ける場所に、「慈悲」の仏格である観世音菩薩がまつられた意味を、何度も確かめていきたいと思います。

そこには、外来の宗教である仏教を、私たち日本人がどのようにして受け止めたのかを知る手がかりもありますし、そこから気づかされることは、今現在を生きて在る私たちが、いかに仏教と出会うかについても、大きな示唆を与えてくれるものと思います。

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太陽や月、地球の運行、摂理をもとにして現れてくる自然環境の中で、それらの現象にじっと目を凝らし、耳を澄まし、鼻で嗅ぎ、味わい、肌で手触りや重みを感じていく。

そのようにして、どれ程の年月を要したか、気の遠くなるような時をかけて、私たちの祖先はその自然の働きを「生きていく道しるべ」とし、いつしか暦を編み上げ、築いてきました。

生きていくというより、むしろ「生き抜く」ための道しるべと言うべきでしょうか。

もちろん、そのような生きるための知恵という意味を超えて、太陽そのものの存在と私たち人間とが交感する場所として、古代の人たちはこの地に詣で、じっと日の出を拝んだものと思います。

仁王門20160322-4.jpg上の画像は、今年の仁王門で日の出を迎えた信者さんから送っていただいた貴重なものです。

大阪の四天王寺は、お彼岸の夕陽を拝む「日想観」の聖地として古来知られていますが、日没だけではなく、日の出を拝む場もまた日本各地に『聖地』があったに違いありませんし、そこは今なお、沈んでしまった太陽が再び新しい光をもたらし生まれてくる姿を迎える地として変わらずに在ると思います。

長谷観音の仁王様は、通常の尊像と少し違った形をしています。

それが次の画像に見られる、「右手」です。

まるで太陽をはるかに見届けようとするかのように、右手をかざしています。

仁王さま2.jpgとても珍しいお姿なのですね。これは、仁王さまを造顕する当時に、願主となった人々が意識的に作ったものですから、何かの意図が隠されていますが、きっと彼岸の太陽の日の出を拝む姿であろうと思われます。

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