6月15日は、弘法大師のお誕生日です。
誕生の地については諸説ありますが、伝統的には香川県の屏風ヶ浦。
私も一度訪ねました。
屏風を立てるがごとき姿からその名になったといわれますが、信州の山国から行けばなだらかな讃岐の山並みがゆるやかに海岸にその稜線を降ろしていくと、弘法大師がお生まれになったという海岸寺というお寺があります。
穏やかな瀬戸内の海の潮騒を遠く聞きながら、後の弘法大師が産声を上げる場面に思いをはせます。
『貴物(とうともの)』と呼ばれた幼少年期。
それは一族から宝物のように大切にされたばかりでなく、きっと幼年期からたぐいまれなる能力を示していたことを伝えている名でもありましょう。
讃岐の誕生の地のあたりには、少年時代の弘法大師が過ごしたり訪ねたり学んだり修行したり、時には「身を投げた」といういわれの地があります。それらのいくつかは、四国八十八ケ所の札所の寺となっています。
それらの地を訪ねると、真魚(まお)と呼ばれた頃の、巨大な能力を秘めたまま海を望み、山や野原をかけめぐり、同世代の子らと遊びながら、おそろしく早熟な心を持て余し、何を為すべきかと悩むともなく遥かに遠くを見つめる少年空海の姿が思われます。
善通寺という弘法大師生誕の地に相応しい大きなお寺の境内に、幼い真魚も見上げたといわれる巨樹の楠が青々と茂り、そのこずえを渡る風は、真魚の髪も揺らした風かと思うと、時を超えて少年空海の気配を感じるようです。
真魚は、何を思って楠を見上げ、海を望み、山を歩き、風を肌に感じていたでしょう。
弘法大師と、後世になって人々に崇められる大人物となる前の、まだ無名で、何者でもない段階の真魚を、青葉まつりを迎えるとしきりに思います。
私たちは、偉大な先人から学ぶことがたくさんありますね。
お釈迦さまは空海という宗教的な偉人だけではなく、いろんな分野の何かを成した人たちの言動から、私たちは人生のヒントをたくさん頂けます。
しかし、偉大なことを成し遂げた後のその人はもちろん魅力的ですが、成し遂げる前の、そこに向かって歩んでいるその人からは、もっと学ぶことがありそうですし、その迷ったり、つまずいたりしていたであろう姿の中にこそ、その人自身もまた振り返れば「楽しかった」と懐かしんだであろう日々の姿に、惹かれてやみません。
以前も紹介しましたが、私は弘法大師の次の言葉が大好きです。
岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く
若い頃は、進むべき道が分からずに、岐路に立って途方に暮れて涙を流したものだ、と。
楠の下で、海を望み、山を駈けながら、泣いた日もきっとあったでしょう。
その流した涙が、後の空海弘法大師の糧になっているはずです。
そのこぼした涙が、その魂を磨いたのでしょう。
泣いている小さな真魚、若き日の空海の姿も思われます。
偉大な人を称える時、その偉大さの光で見えにくい、涙の頃も大切に思いたいものですね。
南無大師遍照金剛