3月11日 晴れ
いのる、ということ。
日本語は、その語源をさかのぼると、私たちの祖先の心を今に伝えています。
「いのる」という言葉<やまと言葉>は、「い」と「のり」に別れるそうです。
「い」は、息とか、息吹にもあるように「いのち」を意味する言葉。
「のり」、天皇陛下の「みことのり(詔)」とか、神主さんの「のりと(祝詞)」にみられるように、うそ偽りのない言葉、神仏の前での誓いの言葉、というような意味を持つ言葉だそうです。
すると、「いのり」とは、「いのちの誓い」という意味になります。
つまり、私たち日本人の祖先は、カミ(神)や死者の魂、祖先の霊の前で、「いのちの選手宣誓」をしていたわけですね。
間もなく春の甲子園大会。高校球児の精一杯のプレーを見ることができます。
あの開会式の選手宣誓では、どんなことを誓いますか?
「宣誓、われわれは、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、最後まで全力を尽くして戦うことを誓います」
だいたい、こんな感じですね。
では「いのちの選手宣誓」としてのいのりでは?
「せいいっぱい、生きることを誓います!」
そう、誓っているのではないでしょうか。
それが、日本人にとっての、祈り、なのですね。
神仏の前で、祖先の前で、祈るということは、一生懸命、ベストを尽くして、与えられた場所で、限りある命を生きてまいります。
そう誓うこと、それが、いのり。
いのちの祝詞、いのちの誓い。
今日は、東日本大震災の七回忌となる祥月命日でした。
幾万の尊い命が失われました。
その犠牲となった一人ひとりの方のみ霊の安らかなることを、祈る私たち。
(田老町にて)
それは、犠牲となった方々のみ霊に誓うことなのですね。
「私たちは、せいいっぱい、生きてまいります」と。
合掌
(住職記)