お釈迦さまのご生涯
誕生、出家修行、降魔成道、布教伝道、涅槃。
お釈迦さまの八十年のご生涯を大きな出来事を中心にお伝えします。
誕生
お釈迦さまは今から二千五百年ほど昔、インドの北部、ヒマラヤ山脈のふもと、ネパールのあたりにあった「釈迦国」の王子として生まれました。
王子としての名を「シッダールタ」と言い、その意味は「すべてを叶えるもの」でありました。
誕生の時、ルンビニーの花園で、にわかに産気づいた母マーヤーさまの右脇より生まれ、直ちに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられます。
その時、天からは神々が将来の仏陀の誕生を祝って甘露を注いだと言われ、これが今日のお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」のはじまりとなり、花御堂にまつられる小さな誕生仏に甘茶を注ぐのは、甘露を注いだ天の神々のお話にちなみ、感謝の思いを捧げるものです。
七歩歩いたのは、前世まで一切のなすべき修行をなし終えてきた方が、この世で六道輪廻の苦しみから出る(解脱)することを宣言したものと伝えられます。
出家修行
シッダールタ王子は、なに不自由なく育てられましたが、王子を生んでわずか七日で亡くなった生母マーヤーさまのことを思って、幼い頃から生と死について深く思い悩む人であったと伝えられます。
やがて青年となり、文武に優れた王子は美しい妃をめとり、子をもうけます。
しかし生と死の真実をきわめ、輪廻の苦しみから解脱したいとの強い願いを失わず、二十九歳の時に、ついに王子としての位も富もなげうって出家します。
髪をそり、ボロをまとって一人の苦行者となります。
それから六年の間、あらゆる苦行をし、肉体は痩せ細りその姿は骸骨のようになったと伝えられます。
またシッダールタは、各地の偉大な師を尋ねては瞑想を深めてまいりましたが、どの師の教えにも求める答えはなく、命を削る苦行も解脱への道ではないのでした。
やがて苦行者たちのもとを去り、ひとり瞑想を始めたのです。
降魔成道
苦行を離れ瞑想を始めたシッダールタを『堕落した』と非難するものもありましたが、シッダールタは心身を調えて菩提樹の本で全てを成就する深い禅定に入ります。
そして人間の苦しみについて、生と死について、その源へと瞑想とヨーガによる智慧の考察を深めてまいります。
やがて、シッダールタの前に、悪魔マーラーが現れて、快楽や怒りや恐怖をもって邪魔をしてまいりました。
生と死の輪廻を繰り返す苦しみからの解脱への道に、シッダールタが目覚めるのを妨げるためでした。
しかし、シッダールタは、快楽の誘惑も、怒りも恐怖もしりぞけてマーラーを降し、生と死の苦しみを生み出す真実を明らかにし、その苦しみを超え、輪廻から解脱する縁起の理法に目覚め、お悟りを得たのです。
十二月八日、明けの明星が輝く夜明け、シッダールタは『ブッダ=目覚めた人』となりました。
涅槃
三十五歳で悟りを開きブッダとなったお釈迦さまは、目覚めの智慧を人々に説き始めます。
以来、四十五年間、伝道の旅は続きます。
次第に、その解脱への道を求めて多くの人が弟子となり、多くの人が帰依し、多くの人が励まされ、救われました。
やがて、八十歳になったお釈迦さまは、弟子のアーナンダを伴って最後の旅を歩み、途中病となりましたが旅を続け、クシナガラにいたった時、沙羅の林でついに杖を置き、横になりました。
偉大な生涯の最後を迎えたのです。
苦しい息で、弟子たちに法を説き終え、皆に別れを告げると深い瞑想に入られ、そのまま完全なる安らぎである涅槃に入られました。
二月十五日、満月の夜でありました。
その教えは、弟子たちによって守り伝えられ、やがて国を越え、時を超えて、日本に伝わっているのです。