いい年をして、人が死ぬんだとはじめて知った青年がいた。
「おれも死ぬのか?」と人に聞いたという。
「もちろんですよ」
そう言われて、あまりのショックで家に引きこもったとか。
青年の名は、ゴータマ・シッダールタ、後のブッダ、お釈迦さまなのです。
このエピソードは、仏教徒の間でも、大切にされてきました。
でも、なんか偉大なお釈迦さまのエピソードとしては、なんか格好わるい。
本当の出来事だっとしたら、むしろ、伝記の中から削除、歴史の隠蔽、となりそうですね。
でも、お釈迦さまを慕う弟子たちも、後の時代の仏教徒たちも、この話しを伝えてきた。
隠すどころか、むしろ、大切にし、開祖の一代記の重要な場面として語り継いできました。
「おれも死ぬのか?」とビビッて、引きこもった姿を。
なぜでしょうね。
少し考えてみれば、なんとなく、分かってきます。
だって、私たちも、元気な間は、自分は死なない、と思ってませんか?
死なないと思う以前、死について、忘れてる。
または、知識として「人は死ぬ」ということを知っているとしても、「私が死ぬ」という事は考えない。
または、考えたくない、目を逸らしている。
青年シッダールタも、同じだったのかもしれませんね。
彼は、王子として、英才教育を受けていました。
最高のバラモンのもとで、インドの神話や哲学を学んでいたことでしょう。
そんな彼が、死についてまったく知らなかった、ということは考えられませんね。
生母も、彼を産んですぐに亡くなっているのですし。。。。
むしろ、知識としてはより多くのことを知っていたことでしょう。
でも、ある時まで、それは自分の人生にとって意味をもつものではなかった。
死は、いつも誰かのものであり、遠い、他人事だった。
それが、ある時、なにゆえか、死は、彼の前になまなましい人生からの問いとして現れた。
この時、死に先立って、老と病からの問いも彼の人生の扉をたたいたといいます。
私は、日頃檀家さんのお葬式の法要の導師を務めたり、法事をして故人のことを偲んだりします。
その時、遺族や親族に、それらしいことを、語ったりもします。
でも、お釈迦さまのこのエピソードは、問いかけてきます。
「おまえは、どうなの?」と。
お釈迦さまは、そのとき、王子として城の東、南、西そして北の門を順に開き、はじめに東の門で老人と出会い、ついで南の門で病人と出会い、西の門では死人(葬列)と会ったといいます。
そして、最後に北の門で出家者と会い、老病死を超えていく道を求めて出家する思いが芽生えたといいます。
あなたはいかがですか?
あなたは、老病死について、人生からの問いかけに対して、城壁を立て門を閉ざしてはいませんか?