■インドに行ってきました
昨年十一月二十六日より十二月五日まで、国際仏教徒会議(Global
Buddhist Congregation 2011)に参加するためインドに行ってまいりました。
この会議は、インドのニューデリーにあるアショカ・ミッションというインド最大の仏教団体が、お釈迦さまの成道二千六百年を記念し、インド政府の後援を受け、世界各国の僧侶や仏教研究者など約千人を招待して開催した大規模な会議です。
仏教発祥の地であるインドはもちろん、チベット、タイ、スリランカ、ビルマ(ミャンマー)、マレーシア、韓国、カンボジア、ベトナム、ブータン、モンゴル、ロシアなど、アジアの仏教国を中心にヨーロッパやアメリカからも多数参加していました。日本からは、各宗派の僧侶、仏教研究者など二十名が参加し、私もそのメンバーの一人として参加しました。
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会議の趣旨は、「仏法への理解を深め、仏陀の教えが現代の消費社会においてなお真理であり続けていることを世界へ訴えかけていくこと」とあり、そのために「現代社会が直面している問題――暴力、社会的・経済的格差、環境破壊、コミュニティー内部の闘争、コミュニティーや国家間の紛争等」に対して、仏教が果たす役割や可能性について、各分野に詳しい各国の僧侶や研究者がスピーチをし、それについて質疑が行われました。
【左写真・日本からの代表の(左2人) 右写真・スピーチを聞く参加者たち】
この会議を一つのきっかけにして、仏教が「平和、調和、共生、さらには、様々な文化や国家が共に責任を分かち合おうとする姿勢の促進に、大きく貢献すること」が会議の願いとして掲げられていました。
本会議を後援するインド政府は、開会宣言を大統領が行い、首相も出席するなど、仏教がインド発祥の優れた宗教であることに大きな自負を見せました。
会議のパンフレットには、インド初代首相であるネルーの次の言葉が大きく取り上げられていました。
嵐と紛争、憎しみと暴力が支配する現代世界に、仏陀のメッセージは太陽のごとく光り輝く。おそらく、今の原子爆弾や水素爆弾の時代ほど、かのメッセージが必要とされた時はなかったであろう。二千五百年におよび長き年月も、かのメッセージにさらなる生命力と真実を付け加えたに過ぎない。決して色褪せることのない、かのメッセージを思い出そうではないか、われらの思考、行動をかの教えの光の下で形成しようではないか。原子力爆弾時代の恐怖の中でも、平等の精神から目をそむけず、正しい思考、正しい行動を少しでも促進させようではないか。
インド初代首相 ジャワハルラール ネール
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従来、東南アジア諸国や日本、韓国、台湾を中心に仏教は信仰されてきましたが、新たに欧米でも急速に広がりを見せています。おそらく、近代文明の様々な矛盾に突き当たる欧米人にとって、アジアの叡智とりわけ仏教に期待するものが多いのでしょう。この現代における国際的な仏教の広がりを担っているのはチベット仏教の僧侶たちです。著名なダライ・ラマ法王をはじめ、多数のラマたちがヨーロッパ諸国やアメリカに拠点を築き仏教を広めています。
チベット仏教が国際的な活躍をするに至ったのは、皮肉なことに中国政府によってチベット本土が占領されてしまい、半世紀以上前にダライ・ラマ法王をはじめとする多数のラマたちが亡命をしたためです。その結果、チベット僧たちは英語をマスターし、チベット人だけのものであったローカルな仏教を、英語を通じてグローバルな仏教として語り始めたのでした。
今日では欧米人にとって仏教と言えばチベット仏教であると言えるほど、チベット僧たちは精力的かつ真摯に仏法を伝えています。私自身、実質的には国際的な仏教全体のリーダーはチベット仏教であると感じています。
そのようなこともあり、この会議も委員長も事務局長もチベット僧であり、さまざまな分科会でも、チベット僧たちの活発な発言や活動が見られました。
さて、日本からは四名の代表がスピーチを行いました。自殺対策に取り組む方、アメリカで座禅の指導をしている方がご自身の活動を紹介し、尼僧の方は「女性と仏教」をテーマに日本の仏教界の現状を伝え、仏教の研究者からは高度消費社会における仏教倫理の可能性についてスピーチをしました。
戒律を厳守し、昔ながらの僧院生活をしている東南アジアの僧侶たちと比べると、我々日本の僧侶は何となく気おくれしてしまいがちですが、こうして世界的な会議の場で各国の取り組みを見聞きすると、日本の仏教の取り組みやあり方には、これはこれで他国にはない魅力や可能性があることに気づかされます。菩提寺と檀家という関係や、地域に受け入れられている多数の寺院の存在、地域の住民と密接な関係を築いている僧侶、そして様々な社会問題に関わる僧侶。こういうあり方は、チベット仏教やアジアの仏教界にはあまり見られないことで、在家仏教である日本の仏教の大きな特色であると思いました。
【日本の尼僧である緑川師のスピーチ】
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会議の最終日には、参加者一同でマハトマ・ガンジーが暗殺された場所を訪れ平和行進をし、閉会式ではダライ・ラマ法王が講演を行いました。宗派の壁を越えて、お互いにお互いを学び、そして何より、お釈迦さまの教えを実践していこうというメッセージに溢れたものでした。
【左写真・ガンジーが凶弾に倒れた場所 右写真・ガンジーが演説をした椅子】
ダライ・ラマ法王の講演の前には、各国の高僧がスピーチをしましたが、その際に日本を代表して九州の方が挨拶をしました。その冒頭で、大震災の折に、各国から寄せられた支援や祈りに感謝を述べると、千人もの会場から温かい拍手が鳴り響き、いかに日本の震災が世界に衝撃を与えたかが感じられました。と同時に、その心のこもった拍手には「応援しているぞ」というメッセージや友情が感じられとても感動しました。
【日本を代表してスピーチする川原英照師(玉名市蓮華院)】
以下は、ダライラマ法王のスピーチ(英語)です。
日本語訳はこちらGBC2011 ダライラマ法王スピーチ和訳.pdf。
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会議日程がすべて終了すると、会議の参加者には仏跡すなわちお釈迦さまゆかりの地への巡礼が用意されていました。
多くの参加者が、この仏跡巡礼を楽しみに参加していて、私もまたこれを楽しみにしていました。
会議の行われたニューデリーから飛行機でバナラシ(ベナレス)に向かい、そこからバスに乗って五時間、ボートガヤーという街へ。このボートガヤーは「ブッダガヤ」といい、他でもないお釈迦さまが修行の末に悟りを開いた場所です。
現在、このブッダガヤのお釈迦さまが悟りを開かれた場には「マハー・ボーディー寺院」という大きな寺院があり、そこには有名な大塔(高さ五十二m)がそびえ、その下には、お釈迦さまが悟りを前に坐した菩提樹(三代目)があり、さらにその菩提樹の根本には「金剛座」と呼ばれる、お釈迦さまが降魔成道した跡が大切にまつられていました。
私もその人たちと一緒に経を唱え礼拝し瞑想をしました。各国の言葉が唱える経文やマントラが境内にこだまし、五体投地する礼拝の衣擦れの音がザッザッと聞こえてきて、搭のまわりをひたすらに巡り続ける足音がします。捧げられる香や花々の香りが漂っていました。
【金剛座、菩提樹、大塔に向かって一心に礼拝、五体投地する各国の僧侶、尼僧たち】
このお釈迦さまの成道の聖地であるブッダガヤの人々の祈りの姿、その場を満たしていた空気。たどり着いた感激と、その場に自分がいる喜び。世界中の仏教徒たちと、静かにそんな気持ちを分かち合いました。
その後、ナーランダー大学跡、霊鷲山、サールナート、ガンジス川などに巡礼し旅を終えましたが、今回の旅のご縁と、長期の行程を支えてくれた長老や家族に感謝しています。インドは広い、そしてその懐のスケールも大きい。その大きさに、あらためてお釈迦さまの偉大さも感じ取れた旅でした。
南無釈迦牟尼如来 合掌