梅の花 老いが心を 慰めよ 昔の友は 今あらなくに
長谷寺の境内の梅も開きました。
花いっぱい運動と称して、数年前から、寺のお檀家さんたちが浄財を喜捨してくださり、総代さんはじめ有志のみんなで境内のあちこちに花木を植えています。
写真の梅は、そんな取り組みの中で、観音さまの庭にある池の中の島に植えられました。
この季節は、春近しとはいえ、緑なく境内も寂しい感じです。そんなところへ、この梅はどの花よりも先に赤い花を開いてくれて、お参りの人たちを楽しませてくれています。
冒頭の和歌は、良寛さんのものです。
良寛さんは、ご存じのように江戸時代の中期に現在の新潟県の出雲崎の名主の家に生まれ、青年になってから出家して厳しい禅の道を究め、学問も修めましたが、とりわけその漢詩や歌で今に知られています。
また、慈悲深いエピソードや、晩年に共に過ごした貞心尼とのお話が良く知られていますね。興味のあるかたは、リンク先「良寛ワールド」をご覧ください。とても詳しくまたていねいに良寛さまの世界が紹介されています。
良寛さまというと、有名な「辞世の句」として知られる次の歌がありますね。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ
散る桜 残る桜も 散る桜
良寛に 辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏と いふと答へよ
どれも良寛さんらしい感じがして素晴らしい歌ばかりですね。貞心尼さんが最期を看取りながら取り交わした歌も伝えられていて、二人の真心の触れ合い、愛し合っている温もりまでが伝わってくるようです。
冒頭の句は、老境の良寛さんが、やはり春先のまだ寒さの厳しい越後の国にあって、ようやく咲き開いてくれた梅の花に、懐かしい友を偲び、そのさみしさを慰められている様子が浮かびます。
花は、仏花として仏さまに捧げる供養としても大切にされます。
それは、花が厳しい冬に耐えて咲くからともいわれます。
忍ぶ心、忍耐、仏道ではこれを忍辱(にんにく)とも言って、肉体的な辛さばかりでなく、精神的な苦難や辱めに耐えることも含まれます。
これから待ち遠しい春を迎えます。
そこかしこで梅が開き、やがては桜も開くでしょう。
そんな春を楽しみながら、仏さまが、そんな花に「忍ぶ心」というイメージを重ねて、私たちに語り掛けていることについて、思いめぐらしてみてはいかがでしょう。
仏の道を歩んだ良寛さんが、梅の花に深い慰めを感じているのも、より味わい深い気がしてまいりますね。