画像は昨年の冬至の頃(17日かな)のもの。
今年は曇ってしまって、残念ながら冬至の日の出は拝めませんでしたが、長谷寺境内にある「鶴萩古墳」に冬至の頃の朝日が当たる様子です。
手を合わせて、古墳の中に入り、撮影させていただきました。
昔の古墳は被葬者の再生を願って再生の光である冬至の朝日が当たるように作られたといいますが、この古墳は見事にその通り光が差し込んで、再生の光が被葬者の魂を包み込んでいるようです。
長谷観音は、春と秋の彼岸に観音堂の真正面に朝日が昇りますので、仏教寺院が建てられる遠い昔から、人々はこの地に立って太陽(むろん月も、そして星々)を見つめ、この世界の姿を知ろうとし、その世界の中で生きていく術を求め、必死に学んでいたのだと思います。
日に日に南へまた北へと移っていく日の出の場所。それに合わせて変化していく気温や樹木の様子。太陽だけではなく、月も変化し、星も変化する。それに伴なって、風が変わり、雲が変わり、雨が来て、雪が降る。虫が来ては去り、動物たちの動きにも変化がある。
しかも、それらには、確かな規則性があり、その中で命が来たり去っていく。そのコトワリ、摂理に、人々は何万年もかけて気づき、深く驚き、そして、その自然の運行という世界の中に、適合して生き、そして死んでいく術を学んできたのだと思います。日本の縄文の文化、古来の神道、稲作や漁業など、そうした太古からの年月の上に開かれた深い気づきとともにあるに違いありませんね。
そして、そのような聖地に観世音菩薩がまつられたのであるからには、観音信仰、仏教、仏道もまた、人間が自己を含む世界を知り、この世界で生きて死んでいくこと、そこに深く適合していく智慧の道としてあるのだと思います。
昔の人たちは、この地で太陽や月や星を見つめ、天地の運行を感じながら、その慈しみの力、世界の慈愛を感じ、それを観世音菩薩と呼んできたのではないでしょうか。私たち人間が現在「観音さま」と呼んでいるところの働きや存在、力、それがどこからやってくるのか、そしてそれを感じる場所として、この「長谷(ハセ・ハツセ)」という場所は、かつてもあり、今もあり、これからもあるのだと思います。
ハツセとは、古来、再生の地、蘇りの地、生まれ清まりの地であることを、冬至の光を感じながら、あらためて考えました。
夏至の日の出または日没の光を望む場所も、どこかにあるのではないかな、と境内や近所を散歩してはあれこれ見回しています!(^^)!
来年は晴れるといいですね。
ちなみにこの朝日の方向の線上に千曲市の森将軍塚古墳が!被葬者同士、何か関係があるのかもしれませんね。