境内の各所に開く彼岸花。
もう盛りは過ぎましたが、それでも点在する深紅の群生ははっと目を引きます。
別名を曼殊沙華、とは、思えば美しい名前です。
いかにも、天上の花、あるいは浄土の花、先立った死者たちの花、という気がします。
この花は、異名が最も多い花としても知られています。
曼殊沙華とはうって変わって、死人花、幽霊花、地獄花、、、思わず生唾を飲み込みそうですけれども、どうでしょう、その枯れゆく様はみれば、これらの異名もさもありなん、という気がしてきます。
いったい誰が定めたものか知りませんが、「花ことば」というものがあって、彼岸花にもいろいろあります。
ひとつは、悲しい思い出。
ひとつは、再会。
いったい、誰が定めたものかは知りませんが、何か、そうかも知れない、いや、その通り、という気がしてきます。
彼岸は、祖先を想う季節。そして、先立った、大切な人を想う季節でもあります。
悲しい思い出、再会。
詩人であり、評論家でもある若松英輔さんは、先立った人を想って悲しみに暮れる時、その人の訪れを感じることはないだろうか、と言っています。悲しい時、その人の面影に、思い出に涙がこぼれる時、実は私たちはそこでその人と再会しているのではないでしょうか。
盛りを過ぎた彼岸花ですが、むしろ盛りを過ぎて萎れていく姿にこそ、この花の真の姿があるようにも思えます。
長谷寺の境内には、まだこれから咲き開く彼岸花の一隅もあります。
その深紅の姿を見つめながら、思い出される悲しい思い出をいとおしく抱きしめて、再会する時を過ごしてみてはいかがでしょうか。