長谷寺ともご縁の深い「お寺の未来(まいてら)」の井出悦郎さんが、これからの供養についての本を出版されました(2023/6/1)。
亡き人をこの世から送り出すかたち、残された人が悲しみを分かち合い、癒していくかたち、先だった大切な人を偲ぶかたち。
供養のかたちは、その人の生き方や人生の意味、価値観などを形づくり育んでいくものでもあり、死者と生者との関係を安定させていく営みでもある。
その「安定」は、広く世の中全体にも、及んでいくものでもあると思う。
世の中が拡大し、経済が発展したりしているときは、何につけ「変化」というものはあまり問題として捉えられないけれど、世の中が縮小していく中では、何につけ「変化」は、簡略化だと言われてネガティブな問題として捉えられがちだ。
しかし、本当に、そうだろうか。
かつての供養の形だけが、正しいのだろうか。
この本は、著者自身の大切な家族との別れ、その喪失からのあゆみの中で出会った僧侶たちと、供養をめぐる対話を重ねて編まれたものだ。
現代を生きる、若い(著者の)家族の悲しみと再生への歩みを導く祈りの中で、自分自身の霊性、心を真摯な眼差しと、深い知性で見つめ記述し、そこから生じる問いに、向き合っている。
読む人は、読み進めながら、客観的なルポとして、供養の現場に立つ生活者や僧侶たちの言葉を読み、これからの供養のかたちを一緒に考えていく。
と同時に、この一冊が、先だった大切な家族に捧げられる供養と鎮魂の形でもあるのだと、感じられてくる。
丁寧に、丁寧に、供養のかたちのこれからを尋ねる著者の姿勢に、今も胸にある悲しみと、亡き人に供養を重ねていく思いも感じる。
きっと、昔の葬送儀礼や仏事のかたちや習慣も、深い悲しみからの再生の祈りを歩む人によって探求され、創造されてきたのだろう。
簡略化されていく供養のかたちの中には、そんな先人たちの心が宿っていることも忘れないように、今を生きる私たちの悲しみや痛みを癒し、先だった人の魂を慰める「供養のかたち」を探求していきたいと思う。
多くの皆さまに、一読をおすすめします。
住職 記