焼八千枚護摩供 1
長谷寺 住職 岡澤慶澄
さる令和五年十月九日、私は真言宗における修行のひとつで、古来秘法とされる「焼八千枚護摩供」という尊い修行をさせていただきました。
これから何回かに分けて、この行に取り組むことになった思いやいきさつ、当日までの準備や前行の様子、そして焼八千枚護摩供当日を振り返って書いていきたいと思います。
きっかけ
この行に挑むことになったきっかけは、令和五年が真言宗を伝えた弘法大師のご誕生一二五〇年に当たるため、そのお祝いと報恩のために発願したものです。またこれに先立ち、長谷寺開基の縁起が伝える「千日供養」にちなみ、「千日祈祷」を勤め、令和二年の夏から足掛け四年、同五年の五月まで毎日(悪天候や大雪などでどうしてもできない日もありましたが)長谷寺の本尊である十一面観音の供養法を修行しました。古来息災と疫病退散の功徳が大きいとされる十一面法ですので、新型コロナウィルスの鎮静化と檀信徒の息災を日々に念じ、千日の祈りを続けました。
この満願に当たって、当初は直ちに八千枚護摩供を勤めようと考えましたが、護摩行をきちんと勤めるための前行として、また古来八千枚前行の伝統として「百日護摩」も伝えられることから、五月から九月にかけて百日間の護摩行を修めました。これらの千日と百日の祈りの行の結願の行として、焼八千枚護摩供をお勤めさせていただきました。私なりに、弘法大師の教えに近づく修行であり、大師が歩まんとした道を私もまた歩まんと願ってのものでした。
八千枚護摩供とは
この八千枚護摩供という法は、お釈迦さまがこの世で仏陀(目覚めた人)となるまでに、輪廻の苦しみを八千度生死して修行されたといういわれにちなむ修行です。お釈迦さまは、八千度の生死の中で、衆生を救うため身を捨て徳を積み続けられたのです。その八千度生死という大いなる功徳を、一座の護摩供に凝縮して煩悩を焼尽することを期し、煩悩の象徴たる護摩木(乳木)を八千本焼いて至心に本尊不動明王の加護を祈る。それが焼八千枚護摩供です。
日本では平安時代から真言・天台の密教行者によって盛んに修行されてきました。法流により様々な伝がありますが、私が伝えていただいた八千枚の護摩行でも、八千本の乳木の伐り出しから、特別な護摩壇の支度など、事前の準備段階から細かな決まりや作法があります。三年ほど前から師について伝授をしていただきました。またこの行を支えてくれる仲間の僧侶たちとの勉強会を重ね、少しずつ先人の書物をひも解いて事前の学びを深めました。令和五年の年が明けてからは乳木の木を伐り、護摩供養で用意すべき供物や、行のために準備すべき衣や専用の炉などをひとつひとつ調えながら行に備えていきました。
春から夏へと毎日乳木を削りました。息災の祈りである八千枚護摩では、古来乳木の先端を丸く削る習いがあります。八千本のひとつひとつを鑿で削りましたが、ひとりではとても間に合わないので、法友の青年僧たちに助力を請い、多くの若者たちが駆けつけて一本一本に丹精込め、きれいに削ってくれたのでした。大変暑い夏になりましたが、八千本のすべてが削られたのは、もう秋の風が吹く頃のことでした。(続く)