精神科医の石丸昌彦さんのラジオ番組で、北海道にある「べてるの家」が紹介されていました。べてるの家は、正しくは「社会福祉法人 浦河べてるの家」と言い、精神障害等をかかえた当事者たちの地域活動拠点として、利用者の生活と働きとケアの三つの共同体として、そのユニークな活動で知られています。
このお話しの中で、とても興味深く感じたのは「三度の飯よりミーティング」というべてるの家の大切な理念でした。これは様々な精神障害の当事者たちが、ともに暮らす中で、日に何度となく集まっては、それぞれに思いを語り、それを周囲はじっと聞く。聞く人はさえぎらず、意見などは述べず、とにかくじっと耳を澄ます。そのようにして安心して「話してよい」「語ってよい」という場を何度も持つ。そのような「語り」を繰り返していく。そこは話し合いの場であり、同時に支えあいの場であるといいます。安心して話すとき、人は自己を開き、表現する。それによって自分自身も、その場をともにする人との関係も開かれていく。そうして築かれ深まっていく場(ミーティング)が、べてるの家の生命線であり、一人ひとりの暮らしの生命線でもあるといいます。
石丸先生のお話しは、安心して自己を開いていく語りというものが、精神を病んだ人にとってとても大切で、語りそのものが持つ不思議ともいえる癒しの力について示されたものでした。
このお話を聞いて、私は仏教における三宝の中のひとつ、僧伽=サンガもまた、このようにして安心して自分を開ける場なのだとあらためて思いました。サンガは、仏さまとその教えを尊ぶ人の集いです。人生の悲しみや苦しみに出会い、命やめぐりあいの不思議に打たれた人が、その気づきの中でいかに生きるべきかと道を求めて、仏さまのもとに集う。
そこで大切にされたのは布薩という、自身の戒律に反した行いを語り懺悔する場でした。懺悔や悔い改めというと、厳しいイメージがありますが、人生の悲しみや苦に目覚めた人が集う場であるサンガが、お互いの弱さや過ちを語る場面で、単に厳格であったとは思えません。悟りや救いを求める強い思いを抱いて集う一人ひとりは、今でいう「当事者」として、言うに言えない苦しみや困難を抱えている人でもあります。その一人ひとりが、安心して修行できるサンガの生命線もまた、べてるの家のように、お互いの語りに静かに耳を澄ましあう、温かく深い場であったのだと思います。
お寺は、そんな場であることによって、仏さまの心を願う皆さまにとって、これまでも今もこれからも、かけがえのないサンガであり、地域にとっても安らぎの場なのだと思います。
(奈良・明日香 岡本寺寄稿はがき法話より一部加筆)